藤城清治(影絵作家)美術館見学+α(海軍兵学校)
川村 知一
はじめに
那須に行く度に、余暇の過ごし方は当日の天候を見て決めることが多い。
8月26〜27日は最高気温23度、小雨模様で夏らしからぬ陽気、かねてより妻が興味を持っていた藤城清治美術館の様子を見に行くことにした。

8月27日(火)
11時にホテルをチェックアウトして車で5分、那須街道を上って左折、間もなく標識があって細い小道に右折すると藤城清治美術館の駐車場に至った。
駐車場は3か所ほどあり、係員2名が車を誘導し、すでに50台ほどが埋まって、人気ぶりに驚かされた。
入場料は1,600円、来場者の60%ほどは中高年で、若者はカップルや女性の友達同士など。美術館は自然の林の中にあり、余裕のある敷地に教会もあって散策もできる。
(写真01)
美術館の外観から、規模は左程でもないと思って入ってみると、作品は驚くほど多く、いまどきの影絵はバックライトがLEDらしく、影絵がすっきり映えて見えた。                                        写真01 林の中の教会

入口には8月30,31日、4chの24時間テレビに出演する卒寿の藤城清治氏を激励する寄せ書きが掲示されていた。(写真02、1,2)
写真02 24時間TV寄せ書き

写真1 藤城清治

写真2 卒寿(90)
 

始めに昭和19年撮影の写真、藤城清治氏が海軍兵学校時代の制服姿があり、海兵で終戦を迎えたとあった。
当時から絵を描き始め、特に内股の少女を数多く描いていたが、紙や絵の具などが不足した時代、質の悪い紙に描いたデッサンに水彩を加えたような作品であった。
その後、モノクロの影絵の制作からカラーの影絵へと変遷していくが、メルヘンと少女の作品が多く見られ、ケロヨンも藤城清治氏による作品であることを知った。

感想
今回の見学から、藤城清治氏、やなせたかし氏、水木しげる氏など、戦時体験から別世界への移行には何か共通するものがあるのか?とも考えた。

館内は撮影禁止のため、絵葉書などを複写して作品の一部を紹介します。
(写真3〜7)
サムネイル写真をクリックすると拡大表示します
(写真3)        (写真4)        (写真5)      (写真6)      (写真7)
影絵1         影絵2         影絵3       影絵4        影絵5
 

+α(海軍兵学校)

今回の見学で、私は藤城清治氏の海軍兵学校時代の制服姿に関心を持った。
世間は狭いもので、実は私が住んだ新松戸のマンションで、初代の理事長であった中澤氏(巨体で眼光鋭く、ヤクザの親分のような風貌)が、故石丸さんと海兵同期であることが分かり、石丸さんが亡くなった年に102分隊会報(15号)を下さった。

会報には石丸伍長の追悼文や思い出話が記述されていて、我々戦後教育を受けた人間には、海兵の実態の一部を知ることができ、現在まで同期会が続いていることに、結びつきの強さを知った。
中澤さんは「俺は一番背が高く、あいつ(石丸さん)は一番良くできた頭の良いヤツだった」と言われていた。
(参考までに会報をスキャンして紹介します。最終ページに奥様からの「お便り」があります。)

      下記のロゴをクリックすると会報の各ページをPDFファイルで表示します。
会報1
 
会報2 
会報3
 
会報4
 
会報5 
 平成26年8月31日