大正12年、祖父の米国大陸横断鉄道の旅(後編)
川村 知一
後編[デトロイト→ナイアガラ→ニューヨーク]

Niagara大瀑布;
私はDetroitのFord会社とNiagara fallを見たいと思って、鉄道をMichigan Central Railroadを取った故、汽車は自然と同大瀑布の側を通り、観光客の為に瀑が良く見える所に行くと汽車は5分間の停車をして、客は下車して見ても差し支えない様になって居るから、態々一日を費やして此所に下車観光する必要がなくなり至極便利に出来ている。

元来Niagara瀑布はLake ErieからLake Ontarioに流れる間の落差300’の間を一つは瀑となり、一つは急流となって流れるので、日本で聞いて居たより小さいようです、瀑の巾は可成大きいが落差は割合に小さいから失望した。
昨夜来、雪が降って居たので氷の塊と雪の塊が河を流れる有様が丸で千鳥が浮いて居る様で綺麗であった。

支那人と間違えられる;
Detroitから汽車に乗ろうと思ったら、改札人がPassportを見せろと云うから出したら、其れを見もしないでStation Masterの処に来いと云うにつれて駅長室に行くと、人相を見たばかりでAll rightと云う、変な事をするわいと思って汽車に乗ったら又車掌がPassportを見せろと云う、ハハー成程之れは誰か日本人で悪い事をした奴があって夫で厳密に調べて居るわいと思ったから何故お前達はそんなにPassportを度々見るのだ、今もStation Masterに調べられた許りだ、非常にTroublesomeだと云ったらば、車掌君の曰くAll ChineseはCanadaに入る事は規則で禁じてあるが、お前はJapaneseだからAll rightだと云う、それではお前は日本人と支那人と区別が出来ないかと云うと、大変良く似て居るから分からないと答えた。

其う云う事があって初めて自分がCanadaの領分に入って居る事が気が付いて、旅行券にはCanadaに入る裏書がしてないから之れ以上に話することは止めにして、藪蛇をやらぬ様だまって自分のSeatに着いて居眠りを初めました。
其内汽車がBuffaloに着きましたから、何分停車かと聞くと、二時間間があるから汽車から降りて町の中を一周して晩食をして思わぬ見物をしました。

New York着;
四月十二日朝七時半無事New Yorkに着、三井から迎えの人が来て居て呉れまして、直にPennsylvaniaと云うHotelに投宿した、宿屋の要領はSan Franciscoと同様、直に三井の案内人に従って市内を見物し、其序に下宿の話をして下宿を取る事に決めて、午後三井物産、領事館、三菱を訪問し、欧州行きの汽船に付いて問合せをしました。

何故そんなに早く欧州行きの船を問合わすかと云うと、米国人は一般に金持ちが多い為に五月下旬より六月にかけて紐育は暑いから欧州に避暑する人が多く、又米国で海岸にでも家を一軒借りて、一夏を暮らすより欧州に避暑旅行した方が安上がりだと云うので、盛に初夏の候に欧州に繰り出すと云う事で、其為め船賃も其期節になると非常に高くなって、普通の時の倍位になるのみならず、マゴマゴするとRoomが無い為に、無駄に紐育の暑い家賃の高い所に居なければならないと云う事を聞きましたから、紐育に着いた其日にWhite Star会社に行って六月の初めか五月の末に出るMajestic室が空いているかと云ったらば、六月二日に紐育を出るMajesticが三室空いて居る、他は全部Reserveされて居るとのこと。

其れより以前の分は全部約束済みと云うから驚いた、仕方がないから其三室の内で一番安い奴をReserveしておいた、値段は340弗で然もE deckと云うのだから二等に近い分である、太平洋の方は一等で300弗に対して余り高い様に思うけれども、之れも期節の関係で仕方がない、四月の内であれば270弗か280弗で行けるそうです。

下宿も仲々高くて一週間室料丈が十五弗だと云う、日本の金にすると三十円其んな高い間代が世の中にあろーかしら、其れでも三井の人に聞くと適当だと云うから其に決めた。

翌四月十三日午前中に下宿に移転して午後に三井に行って、自分の目的を話してNew Yorkにおける行動計画を初めた。

追記;
[ニューヨーク抜粋]
単にNew Yorkと云っても丁度東京で大東京と東京市と云ったように、紐育でもGreat New YorkとNew York Cityとある、Great New YorkはManhattan, Brooklyn, Bronx, QueensおよびRichmondの五大区域より成り、New York Cityと云えば主にManhattan, Bronxを云う。(中略)

市の中央にはCentral Parkと云って長方形の一大公園が設けられて六百万の市民の気を養う所としてある、又其の有名なるBroadwayの大通りは此公園の南端から起こりて斜めに西部を貫きHudson河の河岸に達している。
此Broadwayの道筋に三井もあれば浅野、領事館、海軍事務所等、有りとあらゆるOfficeは全部此附近にある。

又紐育第一の名物として思い出さるヽはWall Streetで世界の金融の中心地、株式市場も此Broadwayの一隅に開かれて其繁盛、其雑踏と云ったら物に例え様がない。
一攫千金を夢見るYankee共が血眼になって奔走して居る有様は、目の色が変わって間が好くば人の眼玉でも抜き取りそうな地獄の餓鬼共の様に見える。

此附近は何れも二十階乃至五十階位の大建築物が巍然として雲上に聳え立って居て、お負けに両側の道路の甚だ狭隘であるから常に蟻の這い出る隙もない位の人の山を築いて居る。
道路は何れも皆なConcreteか又はAsphaltだから頗る道は良い、公園の外は市中は草や木はとても見る事は出来ない実にイヤな町である。

以上の如く雑踏する人数は如何に交通機関が運び去るかと云うと、地上に高架鉄道あり、地下にはSubwayと云ってExpressとLocalの二種のElectric trainが走って居って、地面にはCable car, Bus,自動車が走って居って、これを各従業員が誠に巧妙に整理して居るから、東京の電車の様に混雑することは少しもない。
然も5cent均一で改札はない所が多く、5cent coinを一寸穴の中に入れなければ柵から中に入れない様になって居る。

斯く多数の電気鉄道が縦横無尽に走って居るが、其powerは何れも火力発電であって、市の上の方に三か所変電所があって、総計何十万馬力の送電をやって居るのであるが、少しも停電、故障等は只の一度もないそうです。
其代り火力である丈けに電力料は可成り高い様です、何れ其内其変電所を見学しようと思って居る。

又紐育の人種は一寸日本人から外観丈け見ると皆んな米国人の様であるが、其実、各国人種の寄り集まりで独逸系、英国系、仏国人系、Ireland系等が、政治的、商業的に大競争をやって居ると云う訳で、真正面な英語を話す人は少ない様です、吾々よりも烈しい英語を使って居る西洋人がある。

紐育市の港内埠頭
紐育市が今や世界第一の大都会となって倫敦を凌驚せんとする勢にあるのは、実は此港湾の便が他に一頭地を抜いて居るからだろうと思う。
何しろ洋々として大海の如きHudson河が流れて居て、水深く四、五十哩も大船舶が逆航し得るのだ、其両岸に何百という波止場、pierが設けられて、六万屯の船が皆な横付けになっている。

然しpierにはcraneは殆んど用いて居ない、何れも船のderrick(クレーン)を使って荷揚げ、荷降ろしをして居る。船のwinchは多くはelectricの様だからsteam winchの如き音が烈しくない。

備考;
大正12年のニューヨークを調べると、エンパイアステートビル(1931年=昭和6年)、クライスラービル(1930年=昭和5年)は無かったようです。
自由の女神(1886年=明治19年)、ブルックリン橋(1883年=明治16年)は既に在ったようです。

参考写真(2003年)

写真1.エンパイアステートビルからハドソン川方向 

写真2.ツインタワーの無いマンハッタン

(次回は、「大正12年、祖父が見た米国東部都市・企業の概況」を予定します。) 
 平成25年6月18日