半世紀前のレコード 「和楽踊」、「古河電工社歌」
川村 知一
はじめに

捨てるには忍びない、ガラクタを収納しておいた段ボール箱から、半世紀前(昭和30年代前半)のSPレコード1枚を発見した。
A面は「和楽踊」、B面は「古河電工社歌」、社歌の作詞・作曲、歌手には錚々たる名が連なり、紹介したい。(お持ちの方がいるかも知れませんが) 
SPレコードの外観写真

写真1.ジャケット、
 
 社歌のラベル

 社歌のラベルはアルミ色地に印刷され、
 文字が腐食で多少消えかかっていたが、
 読み取ると錚々たる名が見られた。


   作詞:阿部定雄、補作:勝 承夫

   作曲:堀内敬三

   歌:藤山一郎、安西愛子

   制作:日本グラモフォン株式会社
       (SP=回転数78rpm)
 














写真3.B面:古河電工社歌 














写真2.A面:和楽踊 
  レコード盤の記憶
   
   このレコード盤は、昭和30年代前半
   (昭和31年が精銅所50周年であり、
    記念事業の一環と思われる。)
   丹勢社宅にて、戦前から家にあった
   ゼンマイ式蓄音器で聴いた記憶がある。
   
   (和楽踊ラベルの写真の浴衣、電飾など
    が参考になり面白い。) 

 社歌を試聴

  手持ちのオーディオセットで試聴したところ、長年縦置きにされていたため盤の外周部にソリ
  があり、78回転でMCカートリッジ(針圧2.0g:放送局用DENON DL-103)では、レコードプレーヤー
  のピックアップがバッタのように跳ねまわり、社歌の1番は試聴不可で、2番、3番のみの試聴
  となった。

  2番は安西愛子のソロで、3番は藤山一郎
  と安西愛子のデュエットであった。

  1番は藤山一郎のソロと推測される。

 当時、藤山一郎44才、安西愛子39才くらい
 と思われ、声色も若々しい。

 

写真4.藤山一郎 
登場人物の略歴紹介

ご存知のかたも多いと思いますが、Wikipediaより

作詞 阿部定雄:Wikipediaに掲載なし

補作 勝 承夫:明治35年(1902)~昭和56年(1981)、東京都四谷出身
        詩人、元日本音楽著作権協会会長、元東洋大学理事長
        戦後は全国小・中・高校の校歌を多数作詞
        「駅伝を讃えて」の詩碑が箱根芦ノ湖畔にある。

作曲 堀内敬三:1897年~1983年、東京都神田出身、作曲家、作詞家など
    東京高等師範付属小・中卒、米国ミシガン大、1923年MIT機械工学修士取得、
    1926年、野村光一の依頼で「若き血」( 慶大応援歌)作詞、作曲、NHK洋楽主任、
    松竹蒲田撮影所音楽部長など

歌  藤山一郎:明治44年(1911)~平成5年(1993)、東京都日本橋出身
        声楽家、作曲家、指揮者、本名は増永丈夫 東京音楽学校首席卒業、
        1930年代から1940年代にかけて「酒は涙か溜息か」、「丘を越えて」、
        「東京ラプソディ」、「青い山脈」、「長崎の鐘」などを歌いヒットした。

歌  安西愛子:1917年~、東京都出身、童謡歌手、声楽家、
        東京音楽学校声楽家入学、同校研究科卒業
        1944年「ああ紅の血は燃ゆる」、「お山の杉の子」がヒット。
        1949年からNHK「うたのおばさん」で松田トシと共に童謡を歌い、1964年降板。
 

余談:本社6階会議室、新年始業式での社歌斉唱の光景

私は昭和52年、平成3年、2回の上京で本社勤務を経験したが、6階会議室で行われた新年始業式での社歌斉唱の光景を思い出す。

古参の方々は心得たもので、懐から手帳を取り出し、社歌のあるページを開き、伴奏が始まると、あちらこちらから美声が聞こえてきて、どなたが歌っているのかと振り向くと、思わぬ方の美声で驚いたりした。
一方、山奥の工場から出てきたばかりの私は不慣れで、1/8拍子遅れて輪唱した。
 
 平成24年12月19日