Pacific Report "Can Japan Stay on Our Side?"(その1)
川村 知一
はじめに
1951年(昭和26年)9月8日、サンフランシスコ講和条約が調印され、1952年(昭和27年)4月28日発効、今年は日本の独立が回復して60年になる。

手元に激動の昭和26年(1951年)、私の父が米国から持ち帰った週刊誌”Collier’s”がある。その中に(NY) Gov. Thomas E Deweyが日本を訪問し、日本の実情を分析、サンフランシスコ講和条約以降の日本の行方を考察、朝鮮戦争中で共産圏の2大国、中国、ソ連と対峙する自由諸国圏の最前線として、アメリカによる日本援助継続の必要性を説いた記事が載っている。
また彼は世界史上稀に見る、日本の“農地改革”が成功裏に行われたことに大変興味を示している。

彼は1944,48年に共和党の大統領候補として民主党トルーマンと選挙戦を戦い、2回落選した米国の著名人で、当時ニューヨーク州知事に就いていた。
(もし1944年の米国大統領選挙で、Dewey氏がトルーマンに勝利していたら、広島、長崎の原爆投下、戦争の行方はどうなっていたか、思いが巡らせられる。)

*いずれ捨てられてしまう運命の本であり、歴史に興味ある方に読んでいただけたらと、英文のまま、数回に分けて紹介したいと思います。)

文献:
週刊誌 Collier’s  December8, 1951  (Fifteen Cents)
タイトル “Can Japan Stay on Our Side? ” By THOMAS E. DEWEY
Despite her postwar progress, grave shortages of raw materials and capital make her fight against Communism grim, Gov. Dewey tells what help she needs.
掲載写真(写真1~5):
特に写真5では広島の被爆模型に見入るDewey氏の姿があり、どのような気持ちで見入っていたのか、気になるところである。 
 
   
 
 

   
 

 

   

 
 
 

 
 

   

 
 
 

 
 

平成24年2月24日