鉄道車両アルミ化と新幹線車両の疲労寿命など(前篇)
川村 知一

はじめに

私は1995年から1999年までの約5年間、アルミニウム協会の鉄道車両委員会の委員として、同席の鉄道総研や営団地下鉄の技術プロと付き合い、在来線、地下鉄、新幹線車両についてアレコレ知識を得たので紹介したい。

 

前段(アルミ化の経緯)

鉄道車両はスチール製の歴史が長く、踏切が多かった地上走行では、ダンプなどとの衝突が想定され、先頭車の設計は装甲仕様が必要であった。

(昭和40年ころ、東武日光線のロマンスカーは、毎月のようにダンプと衝突し、常連客は先頭車を避けて切符を買った時期があった。)

日本で最初にアルミボディーを採用したのは、昭和37年(1962年)山陽電気鉄道の2000系電車であった。

その後、踏切のない地下鉄、新幹線が大幅に発展して、アルミ化に有利な条件になったが、アルミはまだ構造用材料としての認知度が低かったり、大型形材の供給体制がなかったり、イニシャルコストなどの点で、一朝一夕にはアルミ化は進展しなかった。

 

中段(千代田線6000系電車のアルミ車両)

昭和43年(1968年)営団地下鉄千代田線に6000系電車としてアルミ車両が登場した。(写真1)

コンセプトは「耐用年数40年以上、新技術の導入、保守の容易化(塗装ナシ、洗車回数低減)、軽量化(加速度アップ、省エネ)」であった。

昭和43年(1968年)から平成2年(1990年)の22年間に36編成353両製造され、現在でも千代田線の主力車両として使用されている。

一方、東西線ではステンレスカーが主で、理由はイニシャルコストの点で、スチール派が強かったため、といわれる。

その後の研究で、アルミ車両の方がランニングコスト、LCAなどで有利であることが実証されている。

 

[東急車両にて6000系アルミ車両組立て見学]

昭和54年(1979年)、タンクローリーのアルミ化PRで金沢八景の東急車両を訪問し、ついでに6000系アルミ車両の組み立て工場を見学させてもらった。

構造はスチール製をそのままアルミ化したもので、フレーム(骨組み)とスキン(板)からなり、組み立てにはアルミMIG溶接の熟練工を多数必要としていた。

スチール車両の溶接はスポット溶接が主であったが、アルミではMIG溶接で、溶接後のシワ伸ばし工程で苦労していた。

溶接直後の車体の外観は、張りたての障子のようにデコボコで、障子は水スプレーを掛けてピンと張らせるが、金属板の場合は、裏面に水スプレーしながら表面をバーナーであぶるとピンと張るのである。

スチールの場合はバーナーで赤くなるまで加熱して良いが、アルミでは赤くなる前に溶け落ちて大穴が開いてしまうので、加減が難しいと言っていた。

 

[川崎重工兵庫工場訪問とMIG溶接部トラブル情報]

遡るが、昭和52年(1977年)、アルミ技研のメンバーに同行して、新合金、古河K73PR目的で、6000系車両の主メーカーである川崎重工兵庫工場を訪問した。

会議室には先方7名、当方5名、会議の冒頭、工場長から開口一番大声で苦言があった。「アルミ屋にはダマサレタ!」「定期修理で戻ってくる車両は、毎回毎回、溶接部にクラックがあり、補修、補修で大変だ!」と言い残して会議室を出て行ってしまった。(利用しているコチラの方が心配になる発言であった):A7005合金(古河K70)形材のMIG溶接には厚い多層溶接部があり、溶接熟練度や作業環境に左右され易く、溶接強度の信頼性も併せて、アルミ車両の経験不足に問題があったと思われた。その後30年間走行しているので、後に構造的に改良されたものと考える。

(*航空機の機体では、強度の安全係数を限りなく1.0に近づけるため、溶接は一切使わず、必要強度はリベットの数で計算できる、とされる。)

[続く]

平成2275