日光の古地図2枚と鉄道の歴史
川村 知一

はじめに

私の手元に日光の古い地図が2枚ある。

1枚は大正15年(1925年)730日発行(大日本帝国陸地測量部、定価金13銭)、もう1枚は昭和8(1933)525日発行(日光町役場観光課)である。

2枚の地図を照らし合わせて見ていると、鉄道事情に大きな進展が見られた。

ついでにインターネットで調査すると、日光の鉄道の歴史が見えてきた。

注目された事項:

1.明治23年(1890年)日本鉄道 ★宇都宮―日光間開通

2.明治26年(1893年)古河 日光駅―細尾間に★牛車    軌道を敷設

  (明治391906年、古河 別倉・細尾発電所、
    清滝に日光電気精銅所を設置)

3.明治41年(1908年)日光町・古河 日光電気軌道
   株式会社創設


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.明治43年(1910年)日光電気軌道 ★日光
    ―岩ノ鼻
8km営業開始

  5.大正2年(1913年)日光電気軌道  ★岩ノ鼻
    ―馬返
2kmを延伸開業




  『大正
296日、▲大正天皇 精銅所行幸』

     [●以上、大正15年地図にあり]



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.昭和3年(1928年)日光電気軌道 東武鉄道の系列下に入る

7.昭和4年(1929年)東武日光線 今市から★東武日光まで開通

8.昭和7年(1932年)日光登山鉄道(★ケーブルカー)開業(昭和45年廃止)

    [●以上、昭和8年地図にあり]

9.昭和8年(1933年)架空索道(★ロープウェイ)開業(昭和18年休止、25年復活)

10.昭和19年(1944年)日光軌道株式会社
    と改称


11.昭和20年(1945年)日光駅から★国鉄
    貨車の直通を開始


12.昭和22年(1947年)東武鉄道と合併
   東武鉄道日光軌道線となる


13.昭和43年(1968年)日光軌道線★全線
    廃止



前段(終戦直後、清滝、丹勢の子供達の遠足)

終戦直後、清滝、丹勢の子供達は、原始人のように、毎日、木登りをしたり、野山を走り回って遊んでいた。

書き物によると、荒んだ子供達の姿を見かねた松尾所長は、清滝幼稚園を創設し、水彩画教室など情操教育に力を入れた、とある。

外界を知らない子供達にとって、乗り物に乗るのは最大の夢で、年1回の遠足は最大の行事であった。1年の遠足が終わると、2年の遠足を待ち、2年の遠足が終わると、3年の遠足を待ち、という具合であった。

ちなみに遠足の目的地は定番で、

1年生:小倉山(清滝から神橋まで電車)

2年生:中禅寺(清滝から馬返まで電車→ケーブルカーで明智平→バスで中禅寺

   (立ち木観音、華厳の滝見物)→★徒歩で旧イロハ坂を下山(イロハ坂は未舗装で、一部は直線的に下山した。)

3年生:宇都宮(清滝から日光駅まで電車→汽車(蒸気機関車)で鶴田にて下車→徒歩で運動公園を過ぎて宇都宮へ、帰りは宇都宮から汽車)

という具合であった。

中段(歴史の矛盾点について)

今回、インターネットで検索した日光電気軌道に関する歴史が、以前、書き物で読んだ歴史と矛盾があり、疑問を持った。

日光の郷土史家で、清滝小学校の校長でもあった星野理一郎氏著、ガリ刷り、昭和23年、あかがね発行の小冊子「日光電気精銅所50年史」の記述である。

*大正296日、大正天皇行幸があった。「当時、日光の街中は牛車軌道により、牛の糞尿で悪臭がひどく、事前に町内総出で街中を清掃した」とある。

*インターネットでは、日光電気軌道は明治43年に営業を開始していた。

考察するに、旅客は電車を、古河の貨物は、まだ牛車を併用していた可能性がある、と考えた。

(確かな情報をお持ちの方に、お聞かせ願えれば、と思います。)

 

後段(地図の由来)

この地図は、昭和6年に入社して、日光に配属になった私の父の持ち物であった。聞いた話では、「当時の独身寮は清滝の電車の駅と精銅所の正門の間にあって、寝床から天井を見ると星が見え、冬は枕元に雪が積もっていた」とか。

この2枚の地図は、日光に配属になったことで、周辺の方が用意してくれたようである。

 

追記(以下脱線)

「昭和6年は世界恐慌で、東大冶金工学科40人のうち、卒業時に就職が決まっていたのは八幡製鉄と古河電工の2名だけだった」という。

「残った大学の同級生達は、翌年の満州事変で景気が回復し、大方就職が決まり、一部の方は大学教授(麻田教授、岩村教授)、研究者(橋本宇一氏)などになられた」という。

「特に、橋本宇一氏には、古河アルミ設立時、通産省との折衝で、何回も同行、力添えをいただき、大変世話になった」という。

「世界最大のアルミメーカー・アルコアと古河が合併することに対し、鉄鋼系の住友金属(後に住軽金に分離)と神戸製鋼の猛反対を受け、非鉄系の古河は劣勢であった」という。(通産内では強者鉄鋼課と弱者非鉄課の力関係もあった)

「当時、橋本氏は目黒にあった金材技研の所長で、弟の龍五氏は大蔵官僚から政界に抜擢されていた。(橋本龍太郎元首相は龍五氏の長男で、宇一氏の甥)」という。

私は良く知らないが「中国の故事に『宇宙乾坤龍虎』というのがあり、長男が宇一、五男が龍五」だそうである。(大変な脱線話になりました。)

 

平成22年6月7日