9・11 NYテロによるWTCビル崩壊の原因とナゾ
川村 知一
はじめに
2001年9月11日、NY世界貿易センター(WTC)ビルが航空機によるテロで崩壊した。崩壊の映像はテレビで何回も報道され、その崩壊スピードは異常とも思われるものであった。
1月22日発行の週刊朝日の表紙に:9・11ミステリー、ビル崩壊の原因「旅客機衝突ではない」というタイトルがあり、思わず買って読んだ。
私がこの記事に興味を持った理由として、5点ほどが挙げられる。
  1. WTCビルのシルバー色の外壁はアルミ板で覆われ、その半分近くは古河アルミ日光工場製であった。
  2. 1979年、初めて米国本土に着地したのがNYで、リバティー島からWTCビルを背景に記念写真を撮った。
  3. 1985年、WTCビル最上階にあった展望レストラン「Windows on the World」でエンパイアステートビルを下に見る、すばらしい夜景を見てディナーをとった。
  4. 2003年、結婚30年記念で妻とNYを散歩してグラウンド・ゼロを訪ねた。
      現場では、金属板に刻まれた犠牲者の名前に見入る人々など、周辺はしんみりしとした雰囲気で、とてもカメラを取り出して撮影する状況になかった。
  5. WTCビルの崩壊する速さには驚かされたが、鉄骨とアルミ板からなる構造なので、テルミット反応でも関係したものだろうと、勝手に推測していた。
前段(WTCビルの構造的特徴)
WTCビルは1966年〜1973年にかけて建設された。設計はコンペにより、日系アメリカ人建築家ミノル・ヤマサキが選ばれ、2棟の直方体(63×63×415m)の超高層ビルで、エンパイアステート・ビルより35m高いビルとなった。
構造的特徴として、フロアー内には1本の柱もない大空間を可能とさせる、ヤマサキのチューブ構造が功を奏した。
ビルの中央にエレベーターやライフラインを集中させ、それらを多くの支柱で囲み、さらに外壁全体に鉄骨の支柱を配して重さを支える、いわば鳥かごの中に鳥かごがあるような構造であった。(Wikipediaより)
 
中段(週刊朝日に掲載された崩壊説)
週刊誌の内容はWTCビルの崩壊について、アメリカの連邦緊急事態管理庁(FEMA)が02年に出した報告書「旅客機のジェット燃料が広範囲に広がり、そのために生じた火災がコア構造の耐性を劣化させて崩壊につながった」という公式見解に異論を唱えるものである。
 
(その1)
昨年12月に来日した建築家リチャード・ゲイジ氏の提唱がとりあげられたもので、「爆発物を使った制御解体の時に現れる特徴が数多く見られた」と唱えている。
本来、もっとも抵抗が大きいはずの真下に向かって、自由落下に近い速度でほぼ左右対称に崩れていった。コアとなる支柱が各階で崩壊と同時に、タイミングよく爆破によって取り除かれていなければ無理だという。
 
世界貿易センター(WTC)ビルの崩壊経緯:2001年9月11日
 8:46 第1ビル(110階建て)の94階と98階の間に旅客機が激突
 9:03 第2ビルの78階と84階の間に旅客機が激突
 9:59 第2ビルが崩壊
 10:28 第1ビルが崩壊
 17:20 旅客機が衝突していない第7ビル(47階建て)が崩壊
FEMA報告書からの図を示す。
 
(その2)
日本建築学会は03年にWTCビル崩壊に関する報告書をまとめたが、アメリカの公式見解を紹介するにとどまっている。
筑波大学大学院システム情報工学研究所の磯部大吾郎准教授らの研究グループは07年、独自に開発した数値解析手法を使って、火災のみを崩壊原因としたアメリカ当局とは違う見解を発表した。
「なぜあんなにすごいスピードで、まるで砂の城が崩れるようにビルが崩壊してしまったのか、私たちもすごく不思議でした。火災以外にも別な理由があるのではないかと考えました」とある。
そこで第2ビル全体モデルを再現し、旅客機の衝突がビル全体の構造にどのような影響を及ぼしたのかをシュミレーションした。
その結果、建物全体に旅客機衝突による衝撃波が瞬時に伝わったことで柱・梁の接合部が破断し、「スプリングバック」と呼ばれる現象が起きていた可能性があるとわかった、という。
「普段、柱には建物の自重で非常に大きな圧縮力がかかっています。この状態から急に解き放たれたため、それまでかかっていたのと同程度の引っ張り力が逆方向に加わり、柱が伸びあがった可能性がある。計算では、衝突直後、60階付近の柱は0.2秒間に25cmの上下動があった、と出た。われわれ専門家でも想像を絶するくらいの大きなスプリングバックであった」。
これは下の階で椅子から振り落とされた証言とも合致するという。
日本と違い地震のないNYなので、WTCビルの大部分の柱は、鋼材を4〜6本のボルトでつないだだけの構造だった。スプリングバック現象によって、これらのボルトが一気に外れ、瞬時にして建物全体が積み木がのっかっただけのような不安定な状態となり、落下してくる上層部に下層部は抵抗できず、完全崩壊につながった、とある。
この理論は(その1)に比べて可能性は高いように思える。
 
後段(私がテルミット反応を想像した理由)
テルミット反応は酸化鉄粉末とアルミ粉末の混剤による酸化発熱(アルミによる還元反応)により約3000℃の溶融材が得られ、おもに鉄鋼を溶接したり、溶断したりする時に使用される。
  1. 私が最初にテルミット反応を見たのは、高校の化学の授業で、先生が乳鉢に原料を入れて点火した。一瞬の白色閃光と白煙が上がり、きわめて印象的な実演であった。
  2. 会社ではアルミの鋳造職場で、炉床レンガの張替を行う時に、掘れた炉床に残った数トンある固体のアルミ塊を取り出す時に、テルミット溶断を下請け業者が使用していた。
  3. アルミの連続水冷鋳造で、最も危険な事故は水蒸気爆発である。
特に鋳造ピット内に鉄さびがあると、鋳造失敗で溶けたアルミが流れ込んだ場合、テルミット反応を生じて水蒸気爆発のきっかけになるので、ピット内は特殊な塗料を塗るようアルコアのノウハウにあった。
水蒸気爆発は、極めて活性な未酸化のアルミの溶けた細かい粒が一気に酸化されて、火薬レベルの爆発を生じる。
週刊誌の記事の中にも、崩壊過程でテルミットのような閃光も見えたとされていた。
WTCビルの場合、火災で溶けたアルミがボルト周辺の鉄さびと反応して、各所でテルミット反応が起きて崩壊原因の1要因になったとしても不思議ではないと思われた。
 
余談
私にとって、WTCの思い出は何と言っても展望レストラン「Windows on the World」でディナーをとったことである。これにはご馳走になった裏話がある。
1985年、円が1ドル250円の時代で、会社の日当ではニューヨークに5泊もすると10万円ほど赤字になった。
日光の鋳造課長だった私は、福井の設備拡張計画として、新しい溶湯処理装置を検討していた。その1つにユニオンカーバイド社が開発したSNIFという装置があり、ニュージャージー州のターリータウンにある研究所の実験装置を見学に行った。
訪問すると、まず2名が対応してくれて、先方から会話が始まった。「今朝の新聞にフルカワがサウスワイヤーを買収する記事があった」という。
私からの口上は少々風呂敷を広げたもので「福井では2基目の冷間圧延機を導入する計画で、それに併せて鋳造設備も増強することになる」としたところ、「オーイ、福井では2基目を入れるそうだ、みんな来い」となり、6人ほどが集まった。どうもサウスワイヤーの話といい、金周りの良い会社らしいと思ったのかもしれない。
続いて古河の英文カタログを説明して、背表紙にある日光精銅所に付随して丹勢の社宅の青い屋根が、ゴマ粒ほどに点々としている我が家の1点を指して、「ときどき猿が群れをなしてやって来る」と言ったところ、大受けになった。
北米には自然の猿がいないせいかも知れない。鹿、キツネ、熊には反応がなかった。
ついでに「冬の朝の台所は氷点下で、冷蔵庫の中の方が暖かい」と言うと、「奥さんは文句を言わないのか?」と目を丸くした。
そのような会話が功を奏したのか、猿の群れが住むアジアの山奥から来た日本人に、ニューヨークの摩天楼を見せてやろう、と考えたのかも知れない。
WTCの展望レストランに行くと、6組もの夫婦が待ち構えていた。とすると、日本の妻の美談が伝わったのかも知れない。
(当時の福井は冷間圧延機1基で、生産量は3500tと四苦八苦していた時代であり、2基目の圧延機の計画はしていたが、その後まもなく債務超過になり、計画は数年先送りになった。SNIFはその後、福井に導入されたように聞いている。)
平成22年1月