第 4 3 9 回 講 演 録

日時: 2016年7月21日(木)13:0015:00

演題: ベトナムの風 ~日本語教育で日越の橋渡し~

講師: AZコーポレーション 代表、あかがね会 会員 池内 正幸 氏

はじめに

講演を始めるにあたって、あるベトナム人女性留学生が今の日本社会から受けた印象と意見を朝日新聞のオピニオン欄へ投稿した記事が目に留まったので、これを紹介する。

「日本人の幸福って何なの?」 留学生 グエン・ティ・トゥイ(千葉県、21歳)
「私は日本に来るまで、日本は立派で偉大な国だと思っていた。来日当初も、街の発展ぶりや人々の生活の豊かさを見て、私の国ベトナムとの差は大きいと感じた。きっと日本人は自分の国に誇りを持ち、幸せだと感じているのだろうと思っていた。しかし、来日から10カ月が過ぎた今、実はそうではないように感じる。日本は、世界でも自殺率が高い国の一つだという。電車の中では、睡眠不足で疲れた顔をよく見る。日本人はあまり笑っていないし、いつも何か心配事があるような顔をしている。日本人は勤勉で、一生懸命働いて今の日本を建設した。でも、会社や組織への貢献ばかり考え、自分の成果を自分が享受することを忘れていると思う。ベトナムはまだ貧乏な国だが、困難でも楽観的に暮らし、めったに自殺を考えない。経済的豊かさは幸福につながるとは限らない。日本人は何のために頑張っているのか。幸福とは何なのか。日本人自身で答えを探した方がいいと思う」 (朝日新聞2016年7月10日朝刊 「声」欄より)

このベトナム人留学生の「声」は私たち日本人にとって痛いところを鋭く衝いていると思う。同感する人も多かろう。しかし、大部分のベトナム人にとっては、少なくともこの日本の現実を直接目にするまでは、日本は依然として強い憧れの対象である。

近年ベトナム人の日本への関心は非常に高まり、日本語習得熱は沸騰状態にある。彼らにとって日本語は日本人にとっての英語と同じような高い価値と有用性を持つようになった。それを象徴するニュースとして、ハノイの高校14校で日本語が正式に第2外国語として採用されることになったという。また、小学校でも正式に主要外国語として教えることが決まり、試験的にハノイの二つの小学校で日本語授業がスタートすることになった。このように日本語熱が高まる一方で、ベトナム人の日本語教師不足が問題になっている。さらにベトナム人教師に日本語教授法を教える日本人教師も絶対的に不足している。

私は3年前、69歳になってベトナムに渡って日本語教師をすることになったが、現地にいる日本人の日本語教師の数は極めて少ない。そのため、一般のベトナム人が思い描いている憧れの日本の姿と現実の日本の姿とのギャップが認識できないまま来日し、冒頭の女性留学生のように失望感を味あうことになってしまうのではなかろうか。

1.ベトナムとは

(1)ベトナムの国土・国名

国土の形は「タツノオトシゴ」のような形で南北に細長い。面積は347千平方キロ、人口92百万(2013年)で、いずれも日本よりやや小さい。

ベトナムの正式国名は「ベトナム社会主義共和国」である。今世界で「社会主義」を前面に押し出しているのは、知る限りでは、ベトナム、中国、北朝鮮、キューバの4カ国である。

(2)ベトナムの国勢データ

ベトナム社会主義共和国(Socialist Republic of Viet Nam)の主要な国勢データを下表に示す。

ベトナム(Viet Nam) 社会主義共和国

首都

ハノイ(“河内”)

人口

9,250万人(2014年) 内、都市部人口33.1%

人口ピラミッド

釣鐘型から壺型へ

面積

32.9km2(日本の九州を除いた面積に匹敵)

1人当たりGDP(名目)

2,088米ドル(2015年)(世界134位)

日本32,486米ドル(2015年)(世界26位)

経済成長率(年率)

5.98%(2014)、日本:0.9%

消費者物価指数

104.1(2014)、日本:102.8

主要生産品目

米、石炭、原油、天然ガス、ビール、二輪車用タイヤ、セメント、棒鋼、 プリンター、携帯電話、バイク組み立て、電力など

主要輸出品目

①電話機・電話機部品 ②縫製品 ③CPU用電子部品 ④履物 ⑤原油 ⑥水産物 ⑦木材・木工品 ⑧輸送機器・部品 ⑨コーヒー、米、他

失業率

2.1%2014年)、日本:3.58%(非正規雇用占有率38%2016年2月〉)

貧困所帯率

8.2%2014年)、日本:16.1%(可処分所得122万円/年以下)

平均年齢

29.2(2014)、日本:46

気候

北部:亜熱帯、南部:熱帯モンスーン

民族

キン族90%、他53の少数民族

宗教

大乗仏教(仏教と道教の合体)70%、他、カトリック(キリスト教)など

行政区分

58省・5中央直轄都市

時差(日本との)

2時間(日本正午→現地午前10時)

通貨

「ドン」  500ドン紙幣から50万ドン紙幣のみ、硬貨は流通せず

日本円換算計算法:ドンの末尾のゼロを二つ取り、その二分の一

(=1/200

賃金レベル(月額)

工場作業者(ワーカー)2万円、事務職2.5万円(高卒初任給)、大卒初任給3万円、日本語能力加給5千~1万円、IT関係専門技術者、日系銀行・商社就職者5万円~8万円

上記データの中で日本と対比して特筆すべきは、先ず、国民全体の平均年齢が日本の46歳に対しベトナムは29.2歳という若さである。次に、驚くべきことに、貧困所帯率が日本の16.1%の半分の8.2%で、格差が相対的に少ないことである。賃金レベル(月額給与)は大卒の初任給でみて日本の50年前のレベルである。

(3)ベトナムの国民性(「ベトナム人気質」)

良いところ: 愛想がよく素直、まじめで粘り強い、手先が器用、親戚同士のつながりが強い、世話好きで、相手を気に入ると自分の兄弟、家族同様の親愛の情を示す、楽天的でしたたか、という点がベトナム人の一般的な気質で、特に優秀な人材は女性に多い。

悪いところ: プライドが強いせいか自分の悪さ加減を認めない、謝ることをせず言い訳をし、ときには嘘をつく、時間の観念が希薄で「報・連・相」の習慣が身についていない、楽天的な反面、現実的な考えを優先し、近未来の人生計画が描けないでいる。特に男性のこの気質が多い。

良し悪しとは別に、一般的に情報の共有化がなされず、個人が情報を秘匿することで優越感を持つようだ。

ベトナム人は一般的に楽天的で、したたかだといわれる。この性格は、中国に長い間抑圧されたこと、三百万人の人命を失った十余年にわたるベトナム戦争など、幾多の苦難を凌いで生きて行くうちに培われたものである。人と接するときには表面的には明るく親しげに振る舞い、世話好きのように見せるが、心の底では、この人と商売をしたら、いくら儲かるかなどと現実的な計算をしているところもある。かつて、当時のチュオン・タン・サン国家主席、グエン・タン・ズン首相、レ・カ・フュー共産党書記長などの要人と何度かお茶を飲んだり、お話しをする機会を持ったが、彼らはいずれも非常にプライドが高く、威圧的ですらあった。ベトナム人は自らの誤ちを容易に認めたがらない。彼等の目には、日本人が他人に何かを頼む時にいつも「すみません、・・・をして下さい」などと、事あるごとに「すみません」をつけて最初から謝っているように見える。ベトナム語で謝るときには「シンローイ」が使われるが、ベトナム人がこの言葉を使うことは滅多になく、日本人がしばしば「シンローイ」を使うのを聞くことがあっても、ベトナム人が「シンローイ」と言うのを聞いた記憶があまり無い。言いわけをするとき、見え透いた嘘をつくこともある。ベトナム人の最も悪いところは時間を守るという観念が希薄なところである。「報・連・相」は不得手である。そのため、仮に報告・相談を欠かすことはあっても、「連絡・確認」を怠れば日本では生きていけないと強く指導した。日本に研修に行き帰国した後の具体的計画が頭に描けていない若者も多く、大抵、日本での稼ぎ高のことしか考えていない。また価値ある情報ほど他人と共有せず、自分ひとりで抱え込んで、優越感を味わっているような傾向もある。

(4)在ベトナム日系企業・日本人

・総数: 1,463社(2015年、2010年:981社 比149%) 

・主要企業名: ホンダ、ヤマハ、トヨタ、日産、デンソー、古河オートモティブ、住友電装、パナソニック、シャープ、キャノン、富士ゼロックス、NTT、富士通、NEC、セコム、リコー、IHI、MHI,三菱電機、コベルコ、TOTO、日東電工、日通、三井倉庫、味の素、三菱東京UFJ銀、三井住友銀、みずほ銀、三菱商事他商社、キンデン、関電工、FFE&C,日立ケーブル、大成、大林、前田、西松、戸田、清水、日本設計、他

・在留邦人: 13,547人(2014年) (2002 2,866人、201211,194)

古河電工系の進出企業は、古河オートモティブを初め、最近進出した古河パワーシステムを含めて現在5社となっている。

(5)ベトナム人の行動半径

年齢

接触範囲

行動半径

1~5

親・兄弟

 10m

6~12

親友・小学校

 1km

13~18

親戚・中高校

 2km

20~

仕事・交遊

 10km

ベトナム人の人生で一番重要な意味を持つ交友関係は6~12歳の親友・小学校関係で、半径1㎞の行動半径の中で生まれる。20歳以降の行動半径10㎞は、主要な交通手段であるバイクでの行動範囲の制約によるものである。この「行動半径」はベトナムの社会構造が「超家族主義」であることを表している。私がベトナムに行って驚いたのは、大部分のベトナム人は朝昼晩、親兄弟・親戚・親友に囲まれながら生活し、人生のほとんどの時間をそこで過ごすということである。ある日系企業で新しく建設した工場の工場長候補として採用した2223歳の優秀な若者が、自宅と新工場の距離が東京~小田原間程度に離れていることを理由に即座に転勤命令を断ったという。工場長としての高給よりも、親友との日々の交遊の方が大事ということである。

(6)ベトナム人の発音・挨拶

大部分のベトナム人は日本語の「た行」と「な行」の発音が正しくできない。「た、ち、つ、て、と」は「た、ち、ちゅ、て、と」となってしまう。つまり「つ」を「ちゅ」としか発音できない。「な、に、ぬ、ね、の」は「ら、り、る、れ、ろ」と発音する。そのため「そこにあるのは、あなたのかばんですか?」は、「そこあるのは、あかばんですか?」となる。数字の「7」(なな)は「なな~」と語尾を上げて発音する。

またベトナム人の挨拶は朝晩の区別なく、一日中「シンチャオ」である。そのため彼らに「お早うございます」、「今日は」、「今晩は」、「お休みなさい」を正しく使い分けさせるのは大変難しい。これを教え込むのは一苦労である。

数字の発音も「4、四、7、七」(ヨン、シ、ナナ、シチ)の区別に苦労する。カタカナの「ソ、ツ、シ」の書きわけも彼らにはとても難しい。

筆記数字も「1」は「Λ「7」は「ヌ」のような形に書き、小数点は「、」(カンマ)、桁区切りは「.」(ピリオド)を使う。これらの筆記・表記方法はフランス文化の名残りである。

これらの日本語の正確な発音と表記は日本に行って仕事をする上での必須要件なので、時間をかけて徹底的に教え込まなければならない。

2.ベトナム人はなぜ日本を目指すのか

日本在住のベトナム人は2015年末時点で、14万7千人で、前年比47%増となっている。ベトナム人の所得は漸増しているものの、日本の高い収入と技術レベルに対する憧れは失われていない。中国や韓国に対する反感や不信感が反作用として働き、日本への親しみを増して感じるともいえる。もの作りで有用な手先の器用さを活用しながら、創造力の源泉としてのオリジナル・ソフトなどのIT開発技術を身に着けるため、先端技術を学ぶ必要を感じている。

ベトナム人が日本を目指す主な目的は、単純にいって「お金」である。彼らが日本へ行くための諸経費を自己資金で賄える者はほとんどなく、その大部分を銀行や親戚からの借金で調達する。来日後技能実習などで得た稼ぎは先ずこれら借金の返済に充てる。技能実習生の日本での平均手取額は8万円/月程度である。研修の最初の2年間はこのうち半分を親元に送金し、借金の返済に充てる。3年目で手元に残った金が60万円あれば、この額はベトナムでは大卒新入社員の20カ月分にも相当する。むろん、研修終了後ベトナムに帰り、身に付けた先端技術で皆の先頭に立って牽引して行こうとする高い志を持つ者も少数ではあるが存在する。そして、日本を目指す大きい理由の一つが、日本の地理的な近さ、旅費の相対的な安さである。また、中国は西沙諸島問題での対立、韓国は強圧的な経営手法の問題があり、いずれもベトナム人から嫌われていて、行きたがらない。その反作用として日本が選ばれている面もある。しかし、冒頭の女性留学生が日本の現状に幻滅を感じたように、憧れていたものと現実とのギャップを感じることを覚悟し、それを乗り越えるように言い含めて、日本へ送り出している。ベトナムは60%が農村地帯である。作った米の8割は国へ供出し、残り2割を自家消費に充てたり、市場で売って、食いつないで行くことはできるが、文化的生活をする余裕はない。そのために日本へ出稼ぎに行くというのが彼らの日本を目指す最大の目的となっている。日本が色々な規制や社会的ルールに縛られ、自由な行動が抑制された社会であることを繰り返し教えても、ほとんどが彼らの想像を超えることであり、実体験しなければ理解できないようである。

3.ベトナムの戦後経済発展

ベトナムの経済の発展はベトナム戦争後1986年に始めた「ドイモイ(=刷新)」政策を抜きにして語ることはできない。ドイモイ政策は中国の「改革・開放」路線から8年遅れで始められた経済改革で、それまでの計画経済を放棄して、市場経済を導入する試みである。その後の日本との「経済連携協定」、ASEANWTO加盟も発展に大きく寄与しているが、やはりドイモイがこの国を大きく変えたといってよい。「ドイ」は「刷り変える」、「モイ」は「新しい」を意味する。ベトナム経済は2001年以降平均年率6%の高成長を続けている。

4.ベトナムの交通事情

  経済成長とともに道路の整備が進み、公共交通はバス路線が発達し、ハノイ市内だけでも90路線が運行されている。トラック、タクシーも多い。交差点で信号が青に変わった瞬間、無数のバイクの群れが一斉に発進する情景は正に壮観である。一家5人が1台のバイクに乗っているのも珍しくはない。ここ10年で日本車が大多数をしめる乗用車も増え、官公庁用だけではなく自家用車としても多く使われるようになった。

5.日本語教師となった動機

2006年にハノイの日本語センター(右図)で日本語教師をしていた実兄の許を訪問したのが私のベトナムとのつながりの初めで、その後何回か訪問を重ねているうちに、日本語センターからの懇請をうけて、2013年に現地に日本語教師として赴任することになった。現地にいる日本人教師の平均年齢は70歳前後であり、滞在期間は短い人で2週間、長い人でも半年程度である。滞在期間が短くなる理由は衛生事情、暑さ、食事、環境変化によるストレスなどで、70歳の老齢者にとっては健康上の問題を起こす要因が重なるからである。私は幸い1年4ヵ月頑張ることができたが、このような環境下では日本語教師のなり手があまりいない。日本の若者も、将来の雇用不安からか内向き志向が強く、日本を離れたがらず、ベトナムに渡って日本語教師をしようという意欲を持つものは少ない。私が日本語教師としてもらった報酬は月9万5千円であった。しかし、この額はベトナムの物価水準からいえば、その約5倍の50万円にも相当するので、現地での生活費としては十分過ぎる額である。むろん、私がベトナムで日本語教師をすることになった主な動機は報酬が目的ではなく、息苦しい日本から一旦外に出て、日本と距離をおきながら、外から日本を見直して見ようと考えたからである。昨年4月に帰国後もハノイの技術系大学卒業生の日本の会社への就職を紹介するなどの仕事を通じてベトナムとの繋がりを保っている。

6.ベトナムの若者たち

日本語センターでは1クラス20人の学級を3クラス受け持った。生徒の95%は農村出身で、年齢は19歳から29歳ぐらいであった。優秀な生徒は女性に多い。生徒はおしなべて明るく屈託がなく、好感が持てるが、その裏には悲しい現実を抱えていることもある。起居を共にしてきた若者の生態について書き留めたものの中からいくつかのエピソードを紹介する。

(1)青春篇

ファム・ティー・ニャイ(女性): 現在大分宇佐市で勉強中。とても美貌で、タレントにしても良いぐらい。頭脳明晰。浴衣がよく似合う。滅多に笑わない。欠点は何を言っても最後に「です」を付けること、「勉強がんばっていますです」というように。

チャン・ハイ・アン(女性): 日本留学志望。日本出発前のスピーチ「私の決意 ~私は強い人間になって帰ってきて、立派なベトナム人になりたい。そしてベトナムにこられる外国人から、すてきな国ですねといってもらえるようにしたい。皆さんもがんばってください」(大拍手)と。現在大分県で働いている。

(2)爆笑編

ズー君: 「豪栄道」の風貌。日本語の授業で、4階の教室から同じ階のトイレまでの道順を「教室を出てまっすぐ行って左に15m歩くと左にトイレがある」と他の生徒から日本語で教えられて、教室を出て行ったあと姿が消えてしまった。その直後、「助けてくれ!」という声が日越語まじりで聴こえる方向に行ってみると、ズーくんが教室の直ぐ横の廊下の欄干外側にぶら下がっていた。彼は教えられた通り「教室を出てまっすぐに行った」のだ。そのあと再び同君に「トイレに行って、どちら側が男性か、どちら側が女性か見てきなさい」と指示したところ、帰ってきて「先生、トイレにだれもいません」という。日本人であれば、細かく正確にいわなくても、指示内容を常識で判断できるが、彼らにはそれができない。教える側の言葉の正確さも求められる

(3)感動編

ブー・フイ・ルオン君: 25歳、「小林旭」風の精悍な顔立ち。地方大学出身、農村部ではエリート。勉強熱心。リーダーシップあり。現在三重県で仕事。姉の交通事故の治療費で多額の借金。それを日本で働いて返すため、来日。日本では建設会社勤務、仕事は高速道路の法面の雑草刈り。ある日、授業中の私に日本にいる同君から国際電話で「先生心配かけてすみません、先生安心して下さい。先生から教えてもらったことは忘れません、先生身体げんきですか。先生に日本で会いたいです。先生、先生、先生、いつ日本に帰えりますか」私は胸が熱くなった。教師冥利につきる。

かつて、共産党書記長レ・カ・フュー氏に「ベトナムにとって今一番大切なことは何か」と尋ねたところ、「教育」と即答された。

(4)落ちこぼれ編

ベトナム人は25歳を過ぎると記憶力がだんだんと落ちてくる。私が教えたサン君は30歳。なかなか覚えが悪かったが、見切り発車で日本へ送り出した。一緒に行った仲間の助けを借りているのか、未だ何もいってこないところをみると、巧くやっているのだろう。

(5)“ハーレム・ベトナム”編

ベトナムの女性はチョコレートが大好きで、特に日本のチョコレートは憧れの的である。私の宿舎の部屋は3階にあり、その下の1、2階は女子学生の部屋である。自分の部屋に行くためには1、2階の部屋を通らなければならない。ある日教室で日本のチョコレートを見せたところ大騒ぎになってしまったので、慌てて隠した。その後自分の部屋に戻っていたところ、数人の女子学生が訪ねてきて、さっきのチョコレートが欲しいという。さらにその声を聞きつけた他の女学生も殺到して来て、総勢20数名の若い女性の集団に取り囲まれ、不覚にも彼女たちの肉体に押されて窒息しそうになってしまった。かくして一介の日本語教師がハーレムの主となる至福のひと時を過ごすことになったという余話。

7.ベトナムの今後に期待すること

ベトナムの若者は日本の若者と比べて従順、素直で、勉学に熱心に取り組む。それは昭和25年から356年頃の日本の高校・大学生と全く同じである。皆向学心に燃えている。今の日本の20代~30代の若者は彼らには負けてしまうであろう。これからは日越間で、人材の片方向の流れではなく、日本人の若者も含めた両方向の人材交流が必要であろう。ベトナムの若者が日本に来て元気のない日本の若者を触発して欲しい。

私は表題にある「日越の橋渡し」の一環として、2020東京オリンピック・パラリンピックに向けて、ベトナムのサッカーチームがオリンピックに出場することになれば、現在住んでいる町田市が計画しているサッカーのトレーニング・キャンプに、ベトナムチームを誘致すべく、ベトナムの文化・スポーツ・観光省に働きかけを予定している。

Q & A

Q1: ベトナムで日本語を教える日本人が不足しているとのことであるが、増員はどうすればよいか?

A1: 滞在期間を短期3カ月として、2週間のオーバーラップで交代するという方法もある。やって見たい方があれば喜んで紹介する。日本語教師の資格をとるには、大学の教職課程修了者が最適であるが、東京都内にある約190校の日本語学校で420時間受講すれば、公的資格ではないが、その修了証があればほぼ自動的に採用される。むろん「資格保有」が絶対条件ではない。準備されている教材に従って教えることができればよい。

Q2: ホー・チ・ミン工科大学の学生は非常に優秀で、「世界ロボコン」(ロボットコンテスト)などでもトップクラスの成績を収めている。FAPで採用した同校の卒業生も極めて優秀という。欧米には知識層の人材が行くのに比べ、日本へ来るベトナム人は作業者、サービス業従業員などが多い理由は?

A2: 先ず、受け入れ側の企業のトップに、ベトナム、インドネシアなど東南アジア各国の人材に対する偏見がある。次に、日本の大手企業の1、2、3次などの下請けシステムで下層へ行くほど賃金押し下げ圧力が掛る。外国人技能実習生は行動の自由を制約された上で、最低賃金法の規定を下回る賃金で働かされる。

Q3: 今年2月にある居酒屋に予約を入れようとしたところ、その店はベトナム人従業員で成り立っている店で、2月は従業員交代時期に当たるとして予約を受けられないとのことであった。このような店で働く従業員はどのような資格で入国しているのか?

A3: 日本における外国人の在留資格には23種類ある。その中の「技能実習」「留学」という枠を使って入国していると思われる。日本語学校も「留学」とみなされるため、ほとんど学校へは行かないで、サービス業などで日常的にアルバイトをしている者も多くいる。

Q4: 韓国は国の受け入れ機関があって、賃金、労働条件を決めているというが、日本はなぜ政府が外国人向けハローワークのような組織を作って外国人の労働条件の規制・改善を図らないのか?

A4: 日本政府も外国人も日本人と同等の扱いをしなければいけないということは意識していて、色々な法案を検討しているが、選挙などもあって上程が遅れている。日本政府はJITCO(公益財団法人 国際研修協力機構)という組織を作り、「外国人研修生・技能実習生の受け入れを支援し、開発途上国の人材育成に寄与する」という名目を掲げて運営している。しかしこの組織は、法務省、外務省、厚労省、経産省、国交省の5省庁の寄り合い所帯で、それぞれの省庁の縦割り組織を持ちこんでいるため、横櫛の連携、問題処理に問題がある。加えて日本側の受け入れは、届け出制で設立された各種「受け入れ管理組合」が当たっている。これを認可制に変えようとする動きがあるが、未だ実現していない。この受け入れ組合の理事長は主に中小企業の経営者が就いているので外国人労働者の待遇改善には消極的となる。組合は参加企業から毎月外国人一人当たり一定額の上納金(管理費と称して)を召し上げている。大企業の場合は社内に人材育成組織を持ち、会社定款に人材派遣・人材紹介の規定を設け、当局に登録すればこれら組合を通さないで、外国人人材を直接採用することもできる。これが実態である。

Q5: ベトナムは「社会主義国家」というが、実態がよくわからない。

A5: ベトナムはベトナム戦争でサイゴンが解放された1975年の翌年、1976年に「ベトナム社会主義共和国」として独立した。初代大統領(国家主席)がホー・チ・ミンである。ベトナムは共産党の「一党支配」(「一党独裁」ではない)であり、他の共産党支配国家の中では比較的自由度が与えられている。政治体制は、国家主席-首相-副首相(5人)の集団合議制である。ところがその集団合議の内容はあまり外部に明かされることがない。情報が政府中枢に握られ、一般大衆には知らされない体制となっている。さらには、政府役人の間で賄賂が生活習慣病のように横行している。これらの問題が解決され、ベトナムが社会主義から民主主義国家へ変わるにはあと半世紀はかかると見ている。チュオン・タン・サン国家主席は2020年までにベトナムを農業国から工業国へ転換するとの政策を掲げているが、到底無理であろう。電力、通信、石油などの国営企業の民営化も全く進んでいない。 

(記録:井上邦信