第 4 3 1 回 講 演 録

日時: 2015年10月15日(木)13:00~15:00

演題: 日韓関係混迷の原因と、今後の日本の対応を考える
講師: 法政大学 キャリアデザイン学部 教授 笹川 孝一 氏

はじめに:

本日、日韓関係に関して講演することになった契機の一つは201010月に当倶楽部で福沢諭吉について講演したことにある。福沢諭吉が明治18年3月に時事新報の社説で書いた「脱亜論」は、これが日本による朝鮮及び東アジアの植民地統治の狼煙となったと批判するものと、むしろ東アジアの近代化を促進する切っ掛けとなったと評価するものなど、今日に至っても論争が続いている。

福沢は、清朝から朝鮮へ派遣された駐留軍の総司令官・袁世凱の支配下にあった閔氏政権に対する近代化クーデターを企てて失敗し、明治17年に日本に亡命してきた金玉均を一時期匿ってやった。福沢は金玉均の一族郎党が残虐な刑で処刑されたことを知り、明治18年2月に「朝鮮独立党の処刑」と題する社説を書き、その延長線上で「脱亜論」を書いた。その後、金玉均は福沢の制止を振り切って清朝の召喚に応じて上海に赴くが、明治27年に惨殺され晒し刑に処せられる。福沢はそのような東アジア情勢を憂い「日清開戦論」を唱える。

清は乾隆帝の時代には世界のGDPの1/3を占める巨大な帝国であったが、1860年には阿片戦争を切っ掛けに北京が英仏連合軍に占領されるなど衰退の途を辿る。清朝の影響も強かった今日のベトナム、ラオス、カンボジアに当たる地域をフランスが制したのに次いで、ロシアの朝鮮、さらには日本への南下が懸念されることになった。ロシアは一時対馬を占領したこともあり、日本の植民地化を企てるのではないかという恐れもあった。それに備えて日本は、朝鮮国自身のためにも朝鮮を近代化する側面と、朝鮮を防波堤とするために大清帝国と朝鮮王朝の上下関係の分断を図ろうとした。これが国際的な文脈で見た日清戦争の意味である。日清戦争の結果、清国と朝鮮の間の宗主国・従属国の関係は断たれ、朝鮮王朝は大韓帝国となり、国王は大韓皇帝、首都は「京城」となった。今日のソウルはかつて「漢城(ハンソン)」が正式名称だったが、これをきらって朝鮮では「漢陽(ハニャン)」と呼んでいた。大中華の下では皇帝の住む所を「京城」といった。そこで、朝鮮も「帝国」となって国王が「皇帝」となったので、当然、「漢城」も「京城」になった。しかし、今日、一部の韓国人の間では、「京城」は日本に押しつけられたものだと言われている。これは感情としては解るが、中華帝国の論理について無理解の結果だと言わざるを得ない。

これは一例だが、当時の国家の論理と感情の論理とを混ぜて議論すると、日韓関係は明治以降の近代史の中で起きた複雑な事柄が絡み合っているので、どちらに非があるとは簡単に断定することはできない。

昨日の報道では韓国は歴史教科書を「国定教科書」にするとのことである。韓国が民主主義国家といいながら教科書を国定化するというのは驚きである。日本の教科書検定制度ですら、国内的にも国際的にも批判されている。韓国国内でも国定化に反対するものも少なからずいる。韓国政府はこの国定歴史教科書を「正しい歴史」と名付けるとのことであるが、本来、歴史教科書においては歴史上の事実のみ記述し、それが「正しい」ものであるかどうかは、国民の解釈・判断に任せるべきと考える。韓国は以前国会決議までして日本の歴史教科書を非難したが、今回は自国で国定教科書を制定するとは理解し難いことである。

1.日韓関係の「混迷」

1)日韓関係の現状認識について

安倍信三首相と朴槿恵大統領が直接対談出来ないことや李明博大統領が竹島(独島)に上陸したことを以て日韓関係が「混迷」しているという向きがあるが、これは表面的な見方に過ぎない。これらの事態が起きる背後には、国内の経済構造・状況が深く係っている。韓国ではサムスン、現代などの財閥を頂点とする産業構造が格差社会を生み出している。中国においても階層・地域間の格差が拡大しつつある。そのような状況下では為政者は往々にして国の外に仮想敵を作って国民の不満の「ガス抜き」をすることになる。米国、日本もその例外とはいえない。

しかし、日韓関係は政府間では依然として齟齬があるものの、全体としては2030年前と比べると交流のチャンネルも多面的になり、民間や自治体の協力や交流、政府間の状況がどうあれ、安定的に発展しているとみてよい。むろん、東北アジアの諸国の関係が現状のままでよいとは決していえない。政府間でもっと風通しのよい連繋が図られなければならない。単に国家間で「友好関係」を保つという時代は過去のものとなって、現代は政治・経済・外交・軍事・人道・技術移転・文化交流など多面的で現実的な国と国の関係を築いていかなければならない。

2)「混迷」という認識は正しいか?何が「正常」な日韓関係なのか?

上述の観点からすると、何をもって「混迷」というか難しい。見方によっては日韓関係は昔から混迷していたともいえる。例えば、江戸時代には朝鮮通信使の交流が盛んに行なわれ、平和・友好的な関係が続いていたとされる。果たしてこの時代の両国関係が対等・平等なものであったであろうか? 当時の朝鮮通信使の高官の申維翰の書いた『海遊録―朝鮮通信使の日本紀行』(平凡社、東洋文庫)はソウルを出て江戸に至るまでの紀行録であるが、対馬で島津藩の宗家の供応を受けた折、「食うに足るものがなかったので席を立った」と書いている。恐らく、魚料理ばかりで、肉食文化の朝鮮人の口に合わなかったのではないかと想像される。また、京、大阪では文人たちが作った漢詩を見てやったり、対詩を返すのに忙しく寝る暇も食う暇もなかったとし、「思うに日本は中華の恩恵に浴しながら、中華と接することが極めて少ないため、中華と日常的に接している我々に対して中華を求めてくるのであろう」という。朝鮮人は明国の永楽帝の時代以後、清朝時代も含めて、北京を大中華の地とし、自ら「小中華」と認識していた。彼等は日本を「東夷」とみなし、大中華―小中華―東夷の序列の最下位においていた。この間両国に戦争がなく、通信使や、今日の釜山における対馬人の貿易が盛んだったという意味では、平和が保たれていたともいえるが、それが対等・平等と言い切れるかというと、精神的には上下関係があったという側面を否定しきれない。

対馬だけでなく、今日韓国や中国となっている東シナ海や南シナ海の島々は平地が少なく、そこには広い海を自由に航行する海の民が住んでいた。その海の民が朝鮮半島や日本列島、中国大陸の一部に勢力を築こうとする行為は、長い間にわたって行われていた。それは、海の民の生業、生活様式でもあった。そしてそれは、体が小さい人すなわち「倭人」の襲撃による被害、倭寇と呼ばれていた。つまり今日の言葉でいうと海賊行為ということになる。

そういう小競り合いは古代からずっと続いていた面があって、日本と韓国、日本と中国との間で人々が移動して陸地の人間の安定した生活を脅かすということがあったということを認識することは大切である。

例えば、『三国史記倭人伝』(岩波文庫)は新羅、高句麗、百済の三国の歴史を記した『三国史記』の中から倭人との関係について書かれた記事を抜粋したものである。その中の新羅の部で「倭人が軍隊を連ねて辺境を侵犯しようとしたが、新羅の始祖には神の遺徳があると聞き、引き返して行った」と記している。「倭が国号を日本と改めた」という記事もある。新羅側の記録には、倭を劣位に見下しているという傾向がみられる。倭、和、大和の公式歴史書である『日本書紀』は百済王族の末裔とも言われる藤原不比等(史・ふひと)が最終的に編纂の指揮をしたとも言われ、大和・百済連合の視点から、新羅を突き放して書かれている。これに対して『三国史記』は、唐と組んで大和・百済連合を破り最終的に百済の息の根を止めた新羅中心主義であることは否定できない。だから、日本が日本書紀を軸に、韓国が三国史記を軸に歴史を考える限り、ある意味で、永遠に和解は訪れない。

韓国側で「壬申倭乱」、壬申の年の倭による乱と呼ばれている豊臣秀吉によるいわゆる朝鮮出兵、日本でいう「文禄・慶長の役」をめぐる評価も、なかなかの難問である。

これは朝鮮では、極悪非道の行為だったと評価されている。もちろん人道主義の立場から言うと、その通りだったと思う。戦場の伝統に従ってということではあるが、戦争で殺した朝鮮人の耳を日本に運んで報告後に埋めたといわれている「耳塚」が京都の豊国神社の近くにあったりする。また、日本で作れなかった磁器の職人・李三平の集団など、朝鮮の陶工を三千人、日本に連れてきたので、一時期朝鮮では白磁が作れなくなったとも言い伝えられている。その一つのグループである、李三平たちの集団は、磁器の原料となる磁石を有田の地で発見して、有田焼、伊万里焼を始めとする日本の磁器づくりの基礎を築いた。お寺も焼いた、田畑も荒らした、本当にひどい状況だったと思う。

しかし、国家の論理としては、当時の東北アジアの流儀に従っていた。

中華帝国の論理では、天帝が地上の皇帝を指名し、皇帝は天命に基づく易姓革命によって交代する。だから、明王朝が弱体化した時、いろいろなグループが、今度、中華の地の盟主になるのは私だ、と名乗りを上げてよいことになっていた。事実、後に大清の基礎を築く女真・満州王朝のヌルハチ(愛新覚羅氏の出、後に大清帝国の始祖)は奉天で即位してこれから北京を攻めるから協力をしろと、朝鮮に言ってくる。しかし、朝鮮王は大明帝国皇帝とその下にいる王という関係、朝鮮王朝は民国の冊封体制の下にあるという関係だったので、それはできないと断る。

秀吉はヌルハチと同じ論理で、大中華の皇帝になろうとする。そして同じ論理で、北京を攻めるから道を開けろと、朝鮮王に要求する。朝鮮王は、ヌルハチに対するのと同じ理由で断る。そこで、秀吉は朝鮮国を攻めることになる。

人道主義から見れば非道、中華主義から見れば常道、ということになる。それをいわゆる「十束一絡げ」にして、正しいか正しくないかという問いを立てると、「解はない」ということになる。そういう問いを立てると、永遠に「混迷」から抜け出せないのではないだろうか。

・「朝鮮」と「日本」という国号の由来

「朝鮮」という国号は5千年前の「檀君朝鮮」に由来するといわれる。朝鮮とは、「朝日が鮮やかに上る処」という意味である。ところが、『三国史記』の「新羅本紀」に「倭国が国号を改めて日本と号した。自ら日の出る処に近いので国号としたと言っている」と書いてあるように、日本が朝鮮より先に日が昇ることを強調した。このように日本と朝鮮は国名の号し方からしてライバル意識が表われている。

3)世界中のあちこちが「混迷」状態にある?

視点を広げてみると、日韓に限らず、世界中で多くの隣接する国同士の関係が「混迷」しているといってよい。イングランドとスコットランド、UKとフランス、フランスとドイツ、ロシアとポーランド、ロシアとウクライナ、ベトナムと中国、モンゴルと中国、USAとキューバ、USAとハワイ、USAと日本・韓国・など歴史上のものも含めると、枚挙にいとまがない。 

4)どこかがどこかを支配するという時代から、独立と協力の時代へ

現在はこれらの「混迷」から抜け出すために、これらの国同士で互いに独立を尊重しながら相互協力を強化して行くプロセスにあるといってよい。ASEAN憲章では加盟国は「自ら侵略戦争はしない」と誓っている。2016年にはAEC(ASEAN経済共同体)が発足する見込みである。これらの近隣国家間の協力体制の強化によって「混迷」が解かれていく。アジアにおいてはASEANの他に「東北アジア連合」「東アジア連合」「アジア太平洋連合」などの各種の協力構想が議論になっている。一部の特定国間の「混迷」の局面だけに捉われないで、これらの構想の帰趨を冷静に見て行かなければならない。そして、そういう方向が進むように、それぞれの持ち場、立場から、創造的に行動することが必要な時期になっている。

2.「混迷」の原因

1)戦争と「平和」の観点から

近代の日韓関係の歴史を「戦争と平和」の観点から紐解いて見る。政府レベルでは、朝鮮を日本の勢力圏下におこうとする明治初期の「征韓論」(司馬遼太郎らは西郷隆盛は「遣韓論」であったという)は、明治8年の江華島事件で日本海軍軍艦と朝鮮側の武力衝突に繋がって行く。一方、民間レベルでは福沢諭吉は「連携論」を提唱し、植木枝盛は朝鮮で自由民権運動を興し日本の明治維新のような形で朝鮮の近代化を図ろうと唱えた。

その後、日清戦争、日露戦争後の保護国化・併合・植民地統治と日本優位の形で朝鮮の近代化のプロセスが進められて行った。この過程は、アメリカによるハワイ併合やフィリピン領有と似ている。これらは、人道主義の立場から見ると正しいとは言えない。しかし、当時の国際法では、武器で脅しながらではあるが、合意手続きを踏んでいるので、容認されることであった。

第二次世界大戦後、朝鮮半島は「独立」するが米ソによって38度線で南北に分割される。1949年に中華人民共和国成立とともに、朝鮮半島全体を社会主義化しようと中国義勇軍が北朝鮮軍と共に南側に進攻し、一時釜山近辺まで押しこまれたが、国連軍の支援により38度線まで押し戻して、休戦ラインが設定された。その間日本は「朝鮮特需」で潤う。1965年には「日韓基本条約」が朴正熙大統領(朴槿恵の父)と日本政府の間で結ばれ、賠償終了後は全ての対日請求権は放棄することで決着した。

しかし当時から韓国国内の条約反対論は根強く残り、未だに慰安婦問題などで対日賠償・謝罪要求が出される。今年は日韓条約締結50周年に当たるが、その間、韓国の大統領は朴正熙、崔圭夏、全斗煥、盧泰愚と軍事政権が続いた後、金泳三、金大中、盧武鉉、李明博、朴槿恵と公選・文民の大統領が選ばれている。日韓条約以降は日韓には対等な関係が保たれ、軍事的な緊張関係は存在しない。

2)人道主義の視点から

秀吉の朝鮮出兵の時代の殺戮、朝鮮陶工の「拉致」、戦功の証として持ち帰った朝鮮・明兵の耳や鼻を埋葬したとされる「耳塚」など、人道に反する行為は度々行なわれた。中でも統治時代の末期に行なった朝鮮語の禁止、創氏改名は無謀であった。むろん、歴史上は同様なことはフィンランドに対するロシア語の強制、ウェールズ語の禁止などもある。従軍慰安婦・所についても他国で行なわれた例は多い。しかし、これら人道上の問題は、他国でも同様なことが行なわれたという理由で日本が免罪となるわけではない。私は、日本人としても、これは批判すべきであると思う。

3)人・モノ・カネの交流・融合と技術移転の視点から

古代においては朝鮮半島と日本は一種の共通文化圏を構成していた。例えば、言い伝えによると「スサノオノミコト」は最初朝鮮半島に降りてきたが、居心地が悪いので日本へ移ったという。「アメノヒボコ」は、兵庫県豊岡市に伝わる伝説では、新羅の王子として生まれ、その後、今日の豊岡市の「出石」に移り、切り通しを作って入江を田圃にし稲作をしたといい、但馬一の宮の出石神社の主祭神として祀られている。古代においては日本海側に東シナ海と半島を融合する形で、越、能登、伯耆、出雲、長門・周防、筑紫・豊へと連なる文化・経済圏が形成されていたことが、これら伝説や遺跡発掘から推測される。

また千字文(漢字手本)、仏教、鉄器、陶器などの文化の多くは、朝鮮半島を通じて日本に伝えられたと見られている。稲作についても、南方ルート、揚子江ルートとならんで、朝鮮半島ルートもあったとされる。

近世では、家康や家光が統治機構の秩序を守るために、朝鮮儒学を正学として取り入れた。士農工商の身分秩序、君臣の秩序、長幼の序、男女の別、長子相続などがこれに当たる。朝鮮の国教とされた「儒教」である「朱子学」は宋の時代に発展した学問を朱子が集大成したものであるため、中国では「宋学」と呼ばれることが多い。朱子学は、宇宙論、認識論、国家論、官僚論、産業論など多岐にわたる。そのベースは孔子・孟子の思想に基づくものであるが、宇宙感は老子・荘子、死生感は仏教から来ていて、これらの諸思想を合体したものである。

その中で、朝鮮朱子学は身分秩序にフォーカスしたものである。五百年続いた朝鮮王国は、その前の高麗が仏教を国教としていたのに対し、国家を強くするため仏教を廃して儒学を以て国教とした。中国の「儒学」が朝鮮で「儒教」と称されるようになったことにより、朱子学に「徳目」化の傾向が生まれた。家康は藤原惺窩、林羅山を介して朱子学を取り入れ、「正学」とした。今の湯島聖堂は当初林羅山によって孔子廟として建てられ、そこに林羅山の私塾に端を発する幕府直轄の大学としての「昌平坂学問所」(=「昌平黌」~孔子の生まれた村「昌平」に因むが設けられ儒学、朱子学が講じられた。後の東京大学も明治初期、この地におかれた。

朝鮮は中央集権国家で、学問は国家経営のためのものであり、そのための官吏登用試験として科挙があった。しかし日本では260余藩といわれる多数の藩がそれぞれ独立採算制で営まれ、参勤交代もあって商品経済が盛んとなった。また、江戸中期以降は藩財政がひっ迫し、それぞれの藩で特産物を作る必要が生じ、人物登用のためには身分制に拘っていられなくなった。また学問は朱子学のみならず、蘭学などの洋学も取り入れ、孔子・孟子の「古学」に還れという動きも生まれた。そして、産業論、軍事論、哲学論なども盛んになり、それらが倒幕運動へと繋がって行く。

これらの日本の近代化の動きはやがて朝鮮の近代化にも影響を与えることになる。朝鮮には後の植民地時代を含む近代化過程において国家システム、学問、文学、鉄道、学校、製鉄など多くの分野で日本のシステムが導入された。戦後は技術供与が盛んに行なわれた。

それらをうけて、最近では、最近はアニメ、Jポップ、Kポップの交流が行なわれ、韓流ブームも起きている。1960年代の後半からはキムチ、焼き肉、スシ、日本酒、マッコリなどに代表される食文化の交流も盛んとなった。互に相手国の文化に対して抱いていた偏見は薄れつつある。そして、韓国では日本語が、日本でも韓国語の学習が、盛んになっている。

4)独立のためのナショナリズムと国内経済の歪のガス抜きとしてのナショナリズム

~「開かれた民族主義」と「偏狭な民族主義」~

韓国の一般人レベルとの20年ほど前からの交流を通じて、特に植民地時代を経験していない4050歳代の層が相手国に対する認識の誤りに気付き始め、自らの狭いナショナリズムへの拘りを解いていることが分かった。最近の日韓双方の一部の層に見られる偏狭なナショナリズムは仮想敵の設定に基づく偏見とヘイトスピーチとして現れる。また、保身を図りたい政権党と、発行部数と視聴率を稼ぎたい一部マスメディアによる過度な対立を煽る行為がしばしば行なわれる。その背後にはそれぞれの国内の格差拡大問題がある。

5)『日本書記』と『三国史記』の対立と中華思想

先ほども述べたように、藤原不比等が中心となって編簒したといわれる『日本書記』は百済びいきで、一方『三国史記』は新羅が三国を最終的に統一するという立場から書かれているので、両者は互いに対立せざるをえない。「歴史」を時代と地域の中で再現してとらえていくためには、この両者を相対化して理解しなければならない。

韓国のある種の世代・人々は、≪中国大陸国家(大中華)→朝鮮半島(小中華)→日本列島国家(東夷)≫という千年以上にわたる秩序意識からの脱皮が難しい。また、日本のある種の世代・人々は明治期以降≪欧米(大中華)→日本(小中華)→大陸・半島国家(西夷)≫へと秩序をひっくり返そうとし、それからの脱皮が難しい。そして、それら世代・人々を抱える両国間に軋轢が生まれ、互いに自縄自縛に陥っている。

中華思想においては「中華」は文化概念であって、地理的に固定されたものではない。長安、南京、北京あるいは東京、パリ、ニューヨークなどのどこでも「中華」の地になってもよい。戦時中日本が唱えた「八紘一宇」はもともと中華帝国の概念である。大日本帝国憲法が発布された明治22年の帝国議会で「天皇陛下万歳」と発声した。そもそも「万歳」は中華帝国の皇帝陛下に対して捧げる言葉であって、この「万歳」によって明治天皇が中華帝国の皇帝となる予定であることを宣明したものであるとする説もある。

6)相互理解・協力の進展過程での軋轢

日韓はソウルオリンピック、大田万博、金大中大統領による日本文化解禁、そして一般庶民の間での交流の拡大・日常化、潘基文国連事務総長段階の和解などにより、相互理解・協力が進展している。むろんその過程においては軋轢が生じることもあるが、それを克服しながらよりよい関係を築いて行くことは、歴史の必然だといえる。紆余曲折があるだろうが必ずそうしていけるし、そうなる。

3.今後の「日本」の対応を考える~悲観する必要はない~

1)「日本」とはだれを指すのか?

日韓関係改善のために対応するのは政府や政権党だけではない。企業社会、地方自治体(韓国と姉妹都市関係にある自治体は多い)、NGONPO、学者、技術者、一般庶民一人ひとりが、「日本」の当事者である。その多様な当事者の理にかない、責任ある対応は、実際に盛んに行なわれているし、今後も広がり深まるに違いない。だから、決して日韓関係の今後について悲観することはない。

2)地域枠組みのイメージをもって、しっかりと議論すること

~複数の戦略的エリアを同時進行で進める~

地域の枠組みとして考えられるのは「東北アジア連合?(日・韓・中、台湾、北朝鮮、ロシア)」、「東アジア連合?(ASEANとの関係)」、「アジア太平洋共同体?(USA、ロシア、沖縄、台湾、ハワイ、フィリピン、インドネシア、オーストラリア、ニュージーランドとの関係)」などがある。

その中で「日本」は単純な贖罪意識は持つ必要はないが、前世代の行なった植民地統治の責任を感じ、その責任を現世代が果たさなければならない。ASEANの「非戦」の誓いに学ばなければならない。戦前の「大東亜共栄圏」とは何であったか冷静に振り返り、それが持つ本来の意義をよく議論する必要がある。最近出版され始めた『昭和天皇実録』とそれに関係する議論、「日本の一番長い日」などの映画などは、その参考になろう。

3)それぞれの国内状況を互いにしっかり理解してさまざまなチャンネルで協力し合う

また、先ほども言ったように、それぞれの国内にはそれぞれの国内事情があって、それが政府間の関係に色濃く反映しているので、そこにもしっかりと注目していく必要がある。そして、同時に、それだけにとらわれ過ぎずに、できるところから、身近なところから、交流と協力を進めていくことが大事だと思う。

4)「ソフトパワー外交」の重要性

その際、日本の持つ優れた文化、スポーツ、技術、学術、自治システム等のソフトパワーを、押し付けにならないように配慮しながら提供していくことは大事である。それらに共通するキーワードは「健康」「安全」「楽しみ」「衣食住」である。

5)日本文化の複合性の理解を深め、新しい東北アジア・東アジア・アジア太平洋文化を創っていく

古代史を考えるにつけ、日本人も、日本語も、日本文化も、純粋のものなどなく、多様なものが日本という舞台で混じり合って、そこに日本バージョンが出来上がってきた。そしてその日本バージョンを外に向かって発信していくことが、とりもなおさず、「ソフトパワー外交」である。この歩みは、今後も強まりながら息長く続く「Long Revolution」である。

6)あらゆるチャンネルで友達になること。

かつて人々は「薩摩人」「長州人」などと名乗っていた時代を経て「日本人」というアイデンティティーが確立した。現在は「日本人」「韓国人」が「東アジア人」「地球人」というアイデンティティーを形成する過程にある。そのためには、日常生活の中で、ひょんなきっかけで知り合った韓国人、朝鮮人、中国人と心を開きあい、友達になっていくこと、仕事仲間になっていくことが基本だと思う。そういう機会は、いくらでもある。日本人でも韓国人でも、何人でも、中には悪意をもつ人もいるから、その点には気を付けながら、仲良くなり、けんかもして、それで少しずつ友達になれていくのだと思う。

7)ガルトゥングの「Peace vs. Violence」概念の大切さ

ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングは「Positive Peace(積極的平和主義)」を唱える。「Peace(平和)」の反対概念は「War(戦争)」だけではなく「Violence(暴力)」である。Violenceは人間の潜在能力の発現を抑制する。その典型が戦争である。格差社会、性別差別、人種差別、老齢差別などはその社会に埋め込まれた「Structural Violence(構造的暴力)」である。それらStructural Violenceを含めてViolenceを少しずつ減らしていくのがPositive Peaceである。そのためには,政治家レベルでは裏で通じていて却って憎しみを煽ることもあるので、一般大衆レベルで協力し合いながら平和を築いて行かなければならないとする。

Q & A

Q1:教科書問題、従軍慰安婦問題について韓国政府の対応は民間・知識人レベルでの相互理解の動きを抑えようとしているように見える。それが韓国政府にとって何のメリットがあるのか?

A1:韓国で、従軍慰安婦批判一点張りで日本がケシカランといっている人達が多数派を占めているとは思わない。ただ安倍政権が余りにも頑なに拒否をするため、却って批判派を増やしているのではないかと思う。日本政府の正面対決ともいえる対応は、韓国国内経済が不調のため鬱積した不満のガス抜きをするための格好の材料を提供しているともいえる。むろん安倍政権の姿勢には反感を抱く韓国人は少なからずいる。

Q2:昨年日本の「言論NPO」と韓国のシンクタンク「アジア研究院」がソウルで行なった「日韓未来対話」に先立って行なった日韓共同世論調査によると、相手国に対して「悪い印象」を持っているとした人が、韓国は71%、日本は54% あった。「悪い印象」を持つ最大の理由として韓国は「(日本は)韓国を侵略した歴史について正しく理解していないから」が77%, 日本は「(韓国が)歴史問題などで日本を批判し続けるから」が74%あった。韓国は国民の不満のガス抜きのための世論誘導に成功しているともいえるが、いずれの理由も歴史認識問題で共通している。この問題が互いに反響しあって、悪循環を繰り返している。これを断ち切る方法はないか?

A2:多分質問の仕方が悪いのではないかと思う。何について「悪印象」を持つのか対象を明確に示さなければならない。国民なのか、政府なのか。アンケート調査では往々にしてセンセーショナルな結果が出ることを計算して設問をすることがある。強いていえば、両国政府がもう少し軌道修正をした方がよいのではないか。それと同時に、実際に、日本人も韓国人も具体的な接触なしに、勝手に思い込んでいる、思い込まされているという点もあると思う。実際に会ってみたら全然印象が変わったという実例は、いくらでもある。

Q3:これは質問ではなく個人的意見である。私は韓国が嫌いな50%の日本人に属する。その理由は、例えばサッカー・ワールドカップの日韓共同開催が成功裡に終わり、両国の関係が改善したのに、その後李明博大統領が竹島に上陸するパフォーマンスで、台無しにしてしまう。朴槿恵大統領は外国に行って日本の中傷演説をする。戦後賠償は片付いたのに、従軍慰安婦補償を蒸し返す。日本人技術者を高給で週末に呼び寄せて技術を横取りする。日本にとって中国との経済関係は重要であるが、韓国との経済関係はどうなのか、日本との関係が切れて困るのは韓国の方ではないか?

A3:よく解る。韓国人の一部の人は、かなりご都合主義で、一貫性がなく、つまみ食いをする。腹の立つことも多い。そこを何とか妥協点をみつけて折り合いをつけている。経済関係についていえば、韓国にとっても日本との関係より中国との関係が重要になっている。しかし、中国の成長には陰りが見え始め、一党独裁体制がいつ崩れるか分からない。日韓ともに中国との経済的パイプだけに頼るのは危険である。そのためにも韓国が嫌いだからといって、関係を積極的に断つ必要はなかろう。韓国人が日本に反発する理由は、かつて東夷として小中華朝鮮の下にあった日本に支配されてしまった自分たちが許せないという、鬱屈したネガティブなエネルギーが内向したり、時折暴発したりするためであるとも考えられる。韓国人のその苦しい心情を理解することも大事だと思う。また、そういう負のエネルギーは、日本の側にもあると思う。朝鮮はどうして長年日本を見下してきたのか、というものである。朝鮮に対する植民地統治には、そういうエネルギーも働いたように感じる。

Q4:韓国とは軍事的な同盟関係にあることが、双方にとって制約条件となっていないか?現状のままでは一旦緩急あってもこの同盟は機能しないのではないか?

A4:形式的には日韓は軍事同盟関係にはないので、条約上の制約はない。それぞれ米国と同盟関係を結んでいるので、米国を軸として間接的な同盟関係があるといえる。軍事的な意味合いは北朝鮮に対応する軍事的体制にある。北朝鮮は疲弊しているので軍事的に暴発する可能性もある。韓国も北からの難民の大量流入を恐れて、ほとんどの人が南北統一を望んでいない。米国も北朝鮮をいつまでも仮想敵としないで、むしろ北朝鮮を独立した国家として早く承認し、38度線の緊張を緩和すべきである。



(記録:井上邦信