第 4 2 4 回 講 演 録

日時: 2015年2月9日(月)13:0016:00

演題: 経営の改革に向けて ~マルコム・ボルドリッジ賞とその展開~
講師: 株式会社 アイキュー・アイ 代表取締役 井手 重輔 氏

はじめに:

「マルコム・ボルドリッジ賞(Malcom Baldrige National Quality Award: 以下MBNQA” 又は“MB賞”)は米国レーガン政権時代の1987年に、この賞の創設に多大な貢献をした商務長官の名を冠して制定された企業・組織体のQuality(日本では「経営品質」と呼ばれている)に関する国家表彰制度である。MB賞が創設されることになった背景には、第二次世界大戦の戦中・戦後の米国の「成功体験」が遺した仕組みがその後の米国の産業界の変革を阻害し、1970年後半頃から産業界(特に製造業)は国際競争力で劣勢となり、業績が低迷していたことがある。その産業界を復活させるため、新しい経営品質評価システムを創出し、国家的な規模の経営品質表彰制度として導入されたのがMB賞である。

成功体験と失敗体験

最初に、成功体験や失敗体験がその人や組織のその後の人生や歴史に大きく影響を与えた事例をいくつか挙げてみたい。成功体験は巧く活用すると、自信が生まれ、更なる飛躍の原動力となるが、活用を誤ると、将来の阻害要因に転化することもある。一方、失敗体験も、巧く活用すると失敗の再発防止ができ、将来の成功に繋ぐことができるが、活用を誤ると更なる事態の悪化を招くことになってしまう。

日本の戦国時代において成功体験が巧く活用された例としては、先ず、織田信長の桶狭間の戦いがある。信長は今日でいう「騎兵による長距離襲撃」という戦法によって僅か2千騎の兵で今川義元の2万余の大軍を破った。信長は、この勝利は地理的条件、合戦当日の気象や相手の油断等に奇跡的に助けられた結果であることを自ら十分認識していたため、この成功体験を2度と活用することはなく、その後の戦では常に勝てる見込みがつくまで準備し、想定される敵兵力の2倍以上の兵力を用意して戦に臨み連戦連勝した。これも一度の成功に慢心せず勝利の原因をよく分析してその後に活かした成功事例活用の例として挙げることができるだろう。

次に、豊臣秀吉の城攻めである。秀吉は流血の戦いを嫌い、血を流さずに敵を屈服させる「包囲戦」を好んだ。まず、織田勢と対抗して播州三木城に立て籠った別所長治を兵糧攻めにして1年がかりで落城させた(「三木の干殺し」)。翌年には因幡の鳥取城に籠った毛利方の吉川経家を同様に兵糧攻めで開城させ(「鳥取の飢え殺し」)、次いで備中高松城の水攻めで清水宗治を下すなど、城攻めの腕を磨いていった。秀吉はこれらの成功体験を後に小田原北条氏攻めにも活用し天下統一を成し遂げた。

徳川家康もまた成功体験活用の名手である。彼は、三河国内の一向一揆に加担して家康に背いた本多正信、蜂谷貞次などの譜代の家臣達を彼等の降伏後その罪を問わずに受け入れてやったので、彼等はその恩義に報いるため忠良な家臣となっていった。家康がその成功体験を再び活用する重要な局面は、織田信長への讒言によって家康の正室・築山殿の殺害と長男・信康(信長の娘・徳姫の婿)の自害へ導いた宿老・酒井忠次の背信を咎めなかったことである。忠次はその後、それまで以上に家康に忠勤を励み、酒井家はその後も徳川幕府の筆頭格譜代大名として江戸時代を通じて存続することになる。部下を一時の背反行為を理由に抹殺するよりも生かして使えば宝を運んで来てくれることを家康は知っていたのであろう。また家康は甲州武田家の滅亡後、その残党を匿って武将の井伊直政に付け、関ヶ原合戦で大活躍させた。井伊家は関ヶ原での功績により譜代大名の中で最大の褒賞を受け、徳川幕府成立後も更に忠勤を励んだ。

これらの事例は天下人レベルの人たちは成功体験の活用が上手だったことを示している。

次に、成功体験の活用を誤り、将来の阻害要因となった例を挙げる。先ず日本の例では、戦国時代、小田原城を根拠にして関東に雄飛した北条氏である。北条氏は初代の早雲以来、農民政策がうまく、年貢を従来の「五公五民」から「四公六民」にしたため農民と地侍層の支持を受けて急速に勢力を拡大した。関東制覇の途上で小田原城は二度にわたって包囲攻撃を受けた。一度目は上杉謙信によって、二度目は武田信玄によって。しかしそれらの包囲軍はいずれも中世型で兵力の主体は農民兵であり、農繁期には撤兵せざるをえないため長期戦には向かず、北条勢に撃退された。ところが三度目に小田原城を囲んだ豊臣秀吉勢は近世型の軍で兵農が分離され、その主力は専門武装集団で構成されていて農繁期になっても撤兵せずに攻囲を続けたため、さしもの堅固な小田原城も落城してしまった。環境の変化に気づかず、前二回の成功体験が阻害要因になった小田原北条氏は滅びることになった。

次の成功体験は日清戦争(明治27年7月~明治28年3月)と日露戦争(明治37年2月~明治38年9月)である。この二つの戦争における日本の勝因は共通していて、短期決戦であったこと、それぞれ相手国が戦争を長期に継続できない内患を抱えていたことにある。また日露戦争では「大艦巨砲主義」が奏功した。ところが、太平洋戦争(昭和1612月~昭和20年8月)ではこの日清・日露戦争の成功体験が災いした。相手国に戦争を長期化できない内患はなく予期せざる長期戦となり、戦艦大和をはじめとする大艦巨砲も米軍の圧倒的な空軍力に対して無力で、無残な敗戦となった。

米国で成功体験が後の阻害要因となった例は1908年にヘンリー・フォードが始めた「T型フォード」である。T型フォード車は単一機種大量生産で中間所得層も購入しやすい価格で売られたため市場を席巻することになり、これが「大量生産・大量販売・大量消費」の米国型ビジネスモデルのはしりとなった。そこへGMのアルフレッド・スローンが、ユーザーの趣向の変化を巧みに捉えて毎年型式を変える差別化戦略でT型からGM車に乗り換えさせ、市場を奪うことに成功した。フォードはT型の成功体験に固執するあまり、却ってそれが阻害要因となりGMの後塵を拝するようになった。次に、第二次世界大戦において、米国は物量作戦で勝利を収めたと言ってよい。戦時体制下で確立した米国の大量生産・大量販売・大量消費モデルは戦後も米国の産業界で30年以上続いた。その結果米国の産業界は環境の変化に対応できずに国際競争力を失い、上図(図1)に示すように主要産業のうち大部分の業種で貿易収支の赤字幅が拡大して行った。

MB賞の登場まで

この米国産業の低迷状況を何として打開しなければならないという国民世論の高まりを受けて、1981年にレーガンが大統領になった。それに先立つ1979年にはハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル教授が“Japan as Number One Lessons for America”を著わし、米国経済に対して警鐘を鳴らした。同書でヴォーゲル教授は日本人の仕事の進め方、教育レベルの高さを称揚した。翌年、NBCも“If Japan can, why cant we ?”と謳ったTV放映をし、全国的に注目を浴びた。これは米国の経済界が当時の日本の企業経営についての調査を進めているうち、日本は米国人であるデミング博士の指導による「デミング賞」という日本独自の品質管理の表彰制度を創り、広く成果を上げていることを知り、これが日本産業を好調にしている要因の一つと考えた。そこでNBCが「日本人にできてなぜ米国人にできないのか?」とキャンペーンを張ったのである。これらの民間からの強い要望を受けてレーガン大統領は就任後、ヒュ-レット・パッカードのヤング会長を委員長とする「大統領産業競争力委員会」を立ち上げた。この委員会がまとめた「ヤング・レポート」は、産業競争力強化のために、①学校教育(特に理科系)の充実 ②卒業生の就職先の紹介、製造業への誘導 ③技術進歩促進 などを提言している。またMIT産業生産性調査委員会が著わした「メイド・イン・アメリカ」では、米国産業の低迷の原因として、①生産者主導(プロダクト・アウト)の時代遅れの経営戦略 ②短期的視野(株主の利益優先) ③継続的な改善と学習の弱さ(他から学ばない) ④人的資源の軽視(レイオフの頻発) ⑤サプライヤーとの協調体制の欠如 ⑥政府と産業界の足並みの乱れ(日本の官民協調に倣え) などを挙げている。ブラッドリー・ゲイルは「科学的管理手法」の提唱者・フレデリック・テイラーを信奉し、「顧客満足をスローガンから科学へ」と唱えた。テイラーは“PlanDoSee”を提唱したが、ゲイルはこれをPlanApproach(仕組み、方法)⇒ DoDeployment(展開)⇔SeeResults(結果)として、顧客満足を科学的に管理することを提唱した。

PDCA”を最初に提唱したのはベル研究所のシューハートで、「デミング賞」のデミング博士はその弟子にあたる。デミング博士は1949年に来日し、PDCAを継続して回せば業務・製品品質が上がることを教えた。それ以前に日本ではテイラーの“PDS”が知られていたが、これについては品質管理の権威・石川馨先生は著書で、日本人はPDSの“S(See)”を単に“見る”ことと理解し、製造ラインで不良品が流れているのを“見”ても、それを取り除くなどのアクションを起こさない場面に遭遇し、PDSは日本には不適であると思ったと書かれている。その後デミング博士から教わったPDCAが広く使われるようになった。最近は国会における討論や行政の場(例:平成27年財務省主計局発「予算編成におけるPDCAサイクルの取り組み」)でもPDCAが使われている。デミング博士は晩年PDCAに代えて“PDSA”の方がよかったと述べられたとのことである。ここで“S”は“Study(学ぶ)”を意味する。現在米国では教育の場ではPDSAが使われている。米国ではMB賞の創設後、前述のゲイルのADRを発展させたADLI(A:Approach,D:Deployment,L:Learning I:Integrationが使われるようになった。ADLIは、ApproachPlanDeploymentDoLearningStudyCheckIntegrationActionとそれぞれの語がPDCAに対応しており、PDCAと同じ概念と考えてよい。欧州(EFQM)では“RADAR”(R:Results A:Approach D:Deployment A:Assessment R:Review)が使われている。これらは表現の仕方が違うだけで基本的にはPDCAと同じ考え方である。これらの概念はほぼ共通しているので、「ビジネス界の公理」と呼ばれている。「公理」といわれる由縁は、企業は規模の大小・業種を問わずPDCAをしっかり回して行けば良い業績がもたらされるということを皆が認めているからである。米国はこの「公理」を国家的な規模で推進することになった。デミング博士は「企業の良し悪しの85%は『経営(マネジメント)の質』で決まる」と言った。つまり、①顧客の満足する良質の製品・サービスを提供するためには ②良質の仕事がなされなければならない、そのためには、③良質な人材を育てなければならない、そのためには、④良質の経営(マネジメント)が必要である、という考え方から、「経営の質」が最も基本的な課題として位置づけられた。

そして、米国企業の経営品質の革新を目指した国家品質賞を制定する機運が高まって行った。これを主導した時の商務長官マルコム・ボルドリッジはテキサス州出身の腕利きの政治家であった。しかし、彼は1987年7月に趣味のロデオ競技で落馬するという奇禍に遭い惜しくも亡くなってしまった。MB賞(MBNQA)はボルドリッジの死去の直後1987年8月にレーガン大統領が同賞制定の法案に署名して成立した。品質管理理論の大御所ジョセフ・ジュラン博士は第1回のクエスト会議(MB賞事例発表会)の議長を務めた際、MB賞を「世界最高の経営の教科書」と称えた。MB賞は、国家品質表彰として「『国際競争力の強化』を狙い、世界最先端の経営のノウハウを学ぶ学習ツールとして、最新の経営理論と実務の粋を集めて1~2年毎に審査基準が改訂される」と紹介された。米国産業界はMB賞の開始以来、凡そ5年で立ち直り、業績を急速に伸ばし始めた。

MB賞の基本思想と概念の骨子

顧客重視のクオリティー リーダーシップ(ビジョン) たゆみない改善 社員の参画、人材育 成 学習、ベンチマーキング 市場への迅速な対応 中長期的視点 事実に基づくマネジメント パートナーとの協力関係 社会的責任 結果の重要性

ここでいう「ベンチマーキング」には二つの意味があり、一つは、競争相手の目標値を探り、競争に勝つためにそれより高い目標を設定するための一連の活動である。もう一つは、自分たちより優れた仕事の仕方をしている会社あるいは組織からそのやり方を学ぶことである。異業種から学ぶこともあり得る。このベンチマーキングという手法を最も有効に活用して業績の回復に役立てたのが米国ゼロックス・コーポレーションである。ゼロックスは世界中の企業・組織がどのような仕事の仕方をしているか情報を集めて、それを凌駕する仕事の仕組みを作り上げた。

PISMBNQAの関係

“PIS”(Performance Improvement System)は企業のマネジメントの中核になるシステムで、例えば、日本企業でよく使われている「方針管理」・「日常管理」のような形でほとんどの企業が持っている。モトローラが開発しヒューレット・パッカードでも採用されている「シックス・シグマ(Six Sigma6σ)」やハーバードのキャプラン/ノートンが提唱し、日本ではジェコーなどが採用している「バランスド・スコアカード(Balanced Scorecard BSC)」等がこれに相当する。中小企業の社長の「創業の理念」のように企業が独自に編み出したものもある。このようなマネジメントの中核となるシステムは形こそ違え、すべての企業に存在する。PISMBNQAの関係は右上図(図2)のような対応関係にある。

チェック(Check)について付言すると、“ダブルチェック”は一般に「同じ方法でチェックする」ことで、この方法ではチェックをしないよりはましだが、同じ誤りを仕出かし易く、誤りに気付かないこともある。一方、MBNQAでいう“クロスチェック”は「異なる方法でチェックする」ことで、誤りを見付け易い。MBNQAの位置づけは、端的に言うと、PISに基づくマネジメントがうまく行っているかどうかを自律的・継続的にクロスチェックするツールであると言える。

MBNQAと他の仕組みとの関係

右図(図3)の通り、MBNQACWQCISO6σ, BSC等の仕組みを包含するComprehensive(包括的)でNon-prescriptive(処方箋を出さない、手法を問わない)に経営全般を診るシステムである。(Note: CWQC = Company Wide Quality Control = TQC = Deming Award





MBNQAの審査のカテゴリー毎配点の例を下表(表2)に示す。


MBNQAのアセスメントは次のように行なわれる 

審査員チーム:政府任命の主任審査員と審査員(5~6名) ☆プロセス:書類審査(1か月前提出)+現地確認(約1週間) ☆アセスメント合意手法:デルファイ法 ☆スコア700点以上はファイナリスト ☆毎年大統領が表彰  (注:デルファイ法は米国ランド研究所が開発した将来予測法で、ソ連のスプートニク1号の打ち上げを事前に的中させたことで有名である)

MBNQAはペイするか?

 米国商務省の調査によると表(表3)の通り、MBNQA受賞上場会社の株による投資収益率はS&P500社の株の平均投資収益率に対して、全社で取り組んだ会社は4.45倍、一部部門が取り組んだ会社は2.94倍となっていて、受賞社の業績が他に比べて明らかに優れていことを物語っている。

MB賞を始めとする経営品質賞は、ヨーロッパ品質(EQ)賞、日本経営品質(JQ)賞など世界で約60カ国が実施している。2014年は米国ではプライス・ウオーターハウス・クーパーズなどサービス部門の他、医療機関、非営利部門から四つの組織、日本では介護事業の社会福祉法人の一つの組織が受賞している。

MBNQAの導入事例

MBNQA導入に当たり、その基本思想と概念に加え、独自に審査基準を策定して実践し、業績回復や更なる業績アップにつなげた事例を紹介する。

A社は業績の低迷に苦しんでいたが、社長が「もしわれわれが顧客の要求・期待に十分に応えることができたならば、その他の重要なことはすべて後からついてくる」と宣言して決意を示し、創業者や歴代社長の遺訓を大切にしつつMBNQAを参考にするとともに、「古代ローマ人の知恵」から学んだことも多く取り入れ独自の審査基準を策定して実践した。古代ローマ人は周囲の諸民族に比べて、知能的にも武力でも技術力でも経済力でもさして優れていたとは言えなかったが、結果としてそれらの諸民族を圧倒し世界帝国を建設できた。その理由としては、全員参加で事に当たる、他国の良いところはメンツに拘らずどんどん取り入れる(benchmarking)、愚痴・不満を言わずやりくりする(maneggiare management)、異なる宗教・反対意見を許容する、サル真似をしない(ギリシヤのostracism[貝殻追放]は真似なかった)  ・ルール作りがうまい(manus manuallegalilegal) 、必要なことはとことんまでやる(ポエニ戦争)、などが挙げられている。

MB賞が日本に導入されるに当たり、“Quality”をどういう日本語にするか関係者は苦心した。製品の「質」は「品質」として定着していたので品質と言えばどうしても「品物(モノ)の質」と受け取られ易く、経営の質、マネジメントの質などのそれぞれの「質」にはどのような日本語を当てたらよいか、困っていた。そこへ㈱R&Dの故・牛窪一省社長が「経営品質」という造語を提案され、それが今日定着し「経営品質」が一般に使われるようになった。

B社でも創業者や歴代幹部の遺訓を盛り込み、MBNQAを参考にしつつ、賞取りに走らず、独自の審査基準を策定し、必要に応じて改定を加え、マネジメントの質を高める活動を続けており、その地道な努力が好業績に結びついている。

日本の経営者は新しいシステムを導入するとせっかちに結果を求める人が多い。石川馨先生は「全社的品質管理は即効薬ではなく、漢方薬のようにじわじわと効いてくるものである」「私の三十年来の経験で、どんな企業でも、全社的品質管理を社長以下全員参加で行なえば、確かに良い製品・サービスが安くでき、売上高が増加し、利益も増加し、色々な意味で企業の体質改善ができることがわかっている」と述べられている。シューハートやデミングも「PDCAを回すと仕事の質が向上することが分かっている」と言っている。これら諸先輩の言うことを聞くべきである。日本人は特にCが弱く、従ってAも不十分だ。「なぜなぜ5回法」等をしっかり活用すれば失敗体験も将来の成功に結び付けることができる。

「賞取り」か「体質改善」か?

「経営品質」システムの導入の本来の目的は賞取りではなく体質改善である。「あの丘を取れ」式に賞を目指すのは構わないが、受賞後の継続的な取り組みが重要である。自社独自の審査基準を策定し、実践で得た「学び」に応じて基準内容を見直し、改善し、実務に活かして行くことをぜひお勧めしたい。日本の企業は往々にして受賞すると目的が達せられたかのごとく考えてしまいがちで、その後長期にわたって継続的に愚直に活動を続けている企業は少ない。1995年に箱根で、企業人、学者が集まって「TQCはこのままでよいか?」というテーマで議論したことがある。それまで行なっていたTQCがバブルの崩壊による業績悪化を食い止めることができなかったという認識に基づく議論であった。そのような背景があって、MB賞のコンセプトの一つである「弛みない改善」の重要性が再認識されることになった。この箱根会議がきっかけとなって従来のTQCTQMと称することになった。

結語に代えて: 顧客満足の「ミラー効果」とは

  ☆ 人を愛する人が最も愛される(イエス・キリスト)。 
  ☆ 人を幸せにする人が最も幸せになる(立石一真:オムロン創業者)
  顧客を満足させる企業が最も満足を得る(“Quality”


Q&A

(Q: Question  A: Answer  C: Comment)

Q1: IBMで使われている“THINK”というロゴの謂われは?

A1: ニューヨークにあるIBM社員研修所の建物の階段に書かれている言葉で、下からRead, Listen, Discuss, Observeと上って行き、最上段に“Think”と書かれている。“Think”は、IBMの初代社長トーマス・ワトソンがNCR社にいたころ最初に考え出した標語で、 ワトソンはその後移ったCTR社がIBMに改称された後も引き続き掲げた従業員向けの標語である。「よく考えよ」という意味で、PDCAでも特に“Plan”のところで“プラン、プラン”()考えていないで、“熟考せよ”ということである。

C1: C社向けラジエーター材の製造で、C社から製造方法の指導を受けて、従来の月単位のバッチ生産から1個流しに変えた。現場工程まで入って細部にわたる厳しい指導をいただいた。

C1a: C社の製造方法ではラインがスムーズに流れるように平準化する必要があり、モノの流し方がそれまでと全然違ってくるので、導入初期段階では混乱を来すことがあったかも知れない。

Q2: 企業の「コンプライアンス」についてはMB賞ではどのように言及しているか?

A2: 「社会的責任」として触れている。我々は個人としても会社としても社会の一員として活動している。企業の行動はすべて合法的でなければならないことは当然であるが、法に触れなくても、顧客に迷惑をかけたり、社会から非難を受けることも戒めている。たとえ合法的であっても会社が経済的あるいはビジネス上の制裁を受け、社員が市民として不利益を被るようなことはしてはいけないと書かれている。企業の社会的責任は“Corporate Citizenship”Social Responsibility”として、MB賞が大切にしている重要なファクターの一つである。

(記録:井上邦信