日時: 2014年10月21日(火)13:00~15:00
演題: 最近の労働紛争の特徴と解決手続の実態
~集団的労使紛争の時代から個別労働紛争の時代へ~
講師: 森岡経営労務管理事務所 代表、特定社会保険労務士 森岡 三男 氏
はじめに
最初に自己紹介から始めたい。昭和38年に佐世保工業高校を卒業し、三菱重工三原製作所に就職した。1年ちょっと勤めたが、大学に行きたいという気持ちが抑えきれなくなり、丁度50年前の東京オリンピックの年、昭和39年に上京した。上目黒の朝日新聞販売店に住み込み、新聞配達をしながら代々木ゼミナールに通い、運よく1年弱の浪人生活で(2年遅れで)早稲田の法学部に入学できた。当時、この東山ビルはなかったが、目黒区東山地区が講師の新聞配達区域であった。丁度50年前に新聞配達をしていたここ東山で講演できるのは、人生にとって大変貴重な思い出に残る機会であり、心より感謝申し上げる。
本日ここで講演することになったので、代々木ゼミナールに電話して昭和40年に書かされた合格体験記を取り寄せた。お手元の、実に50年近く昔の代々木ゼミ新聞(昭和40年4月15日号)に掲載された「忍耐と努力あるのみ
早大(法) 森岡三男(佐世保工業)」をご覧いただけると幸いである。
早稲田大学卒業後は、三菱重工に再就職しようとして同社を訪問したが、一度退職した者の再入社は認めないとのことで、隣のビルにたまたま古河電工があり、古河電工のことはよく知らなかったが、訪問したら人事部の大津寄雄祐さんに応対していただいた。これがご縁で古河電工に採用していただき、昭和44年入社、配属先は横電の人事課で、当時の人事課長が青木淳さんであった。
今日のテーマは「最近の労働紛争の特徴と解決手続の実態」という硬いテーマであるが、少しでも分かり易く説明する。本日ご参加の先輩の方々は会社には労働組合があるのが当然と思っており、現に古河電工には古河電工労働組合があり、労使一体となって会社の発展のために頑張っている。しかし世の中では労働組合の数が少なく、世間では労働組合に加入している労働者の数は、極めて少ないのが実態である。したがって経営における労働組合の位置付けもかなり変わってきている。紛争といえばかつては集団的労使紛争、労働組合と経営側との団体交渉等が中心の紛争であったが、労働組合の組織率が減ってきていること等もあり、一人ひとりの労働者と会社との個別労働紛争は急激に増えている。それらを踏まえて国も対策を採っているので紹介する。
講演の全体的な流れとして、先ず戦後労使関係の動きを振り返って労働組合がどのように変化したか、労働組合の組織率の低下等によって個別労働紛争の時代になり、それに対して国はどのような解決の仕組みを準備しているか、最後に社労士会の取組みの紹介と企業別労働組合でないユニオンとの団体交渉および労働局へのあっせんの実例について紹介する。
第1章 戦後の労使関係をめぐるできごとを振り返る
1.戦後復興期 1945(昭和20)年~1954(昭和29年)
昭和20年10月にGHQが出した五大革命指令の一つに労働組合結成の促進があった。引き続いて昭和23年のドッジ・ラインで超緊縮予算が組まれ、大量人員整理と大規模争議が続いた。その中で昭和25年に朝鮮戦争が勃発し、朝鮮特需が起きて日本の景気がかなり復活した。
労働法制においては、GHQの指導により昭和20年に労働組合法が施行されるなど、日本の民主化に向けての法制が施行された。
古河電工労組関連では昭和21年3月に古河電工労働組合の前身である古河電工労働組合連絡協議会がスタートした。古河が中心になって電線各社に働きかけて、全電線が同年7月に発足した。古河電工が戦後の厳しいときには、人員整理も行われ、労働協約のない状態にあり、昭和27年には労働協約闘争というストライキも含む大変厳しい闘争が行われた。
2.高度成長期 1955(昭和30)年~1973(昭和48)年
日本が高度成長期に入った。昭和35年に日米安全保障条約の改定が行われた。同年に岸内閣が総辞職したあとの池田内閣では、所得倍増計画が打ち上げられた。昭和39年には東京オリンピックがあり、新幹線も開通した。この時期は中卒の集団就職が定着した時代であった。
労使関係では、昭和30年から春闘がスタートした。石炭産業の斜陽化に伴い、昭和34年には三井三池争議という厳しい闘争があり、その後の労働組合は労使協調路線に変わっていった。この頃に、新卒定期採用と定年までの長期雇用システムが定着したといわれている。
古河電工では、昭和34年に古河アルミニウム工業が、昭和46年に古河金属工業が発足した。当時は、原子燃料工業、古河精密金属工業、日本CATV、古河総合設備など、分社化政策が採られた。講師にとって極めて貴重な経験であったのは、昭和47年の横浜電線製造所の撤収計画で、7月に労使合意ができた。その年には各工場ごとの労働組合が単一化され古河電工労働組合となった。
3.経済調整・安定成長期 1974(昭和49)年~1980(昭和55)年代以降
昭和48年には第一次オイルショックが起きて物価が20数%高騰し、昭和55年まで経済成長も平均で4%以上になったあと、安定成長期に入った。
労使関係では、昭和49年の賃上げ率は全国平均で32.9%、古河電工は組合員平均35.5%で、史上最高であったが、その後平準化した。産業問題懇話会ができ、賃上げ抑制や雇用維持の努力が図られ、雇用調整、残業抑制、新規採用抑制、一次帰休等が行われた。
4.市場経済のグローバル化と経済低迷期 1990(平成2)年代~現在
世界では平成2年に東西ドイツが統一され、翌年にソ連が崩壊し、日本では平成3年以降にバブルが崩壊して第一次平成不況・複合不況となった。少しあとになるが、北海道拓殖銀行や山一証券が破綻した。平成13年になると9・11同時多発テロがあり、アメリカ軍がアフガンやイラクの戦争に突入していった。最近になると、平成20年に投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻をきっかけに、世界的金融危機であるリーマンショックが起きた。その影響で平成20年暮れから自動車会社や多くの製造業で人員整理や派遣社員の途中解約(解雇)が行われた。
経済がグローバル化し、失業率が悪化し、非正規労働者が増加し、少子高齢化と若年層の就職難が社会問題となった。格差社会やワーキングプアが普通に語られるようになった。
古河電工の関連会社に関しては、平成13年にフジクラとでビスキャスが設立され、平成21年に古河総合設備が富士電機グループに吸収合併されて富士古河E&Cになり、平成24年には旭電機、井上製作所、古河パワーコンポーネンツが統合されて古河パワーシステムズ、平成25年には古河スカイが住友軽金属工業を吸収してUACJとなった。古河電工本体の従業員数は4,000人位で、大企業の中では中規模であるが、周辺に沢山の関連会社を抱える企業になっている。
第2章 労働組合の変遷
1.非正規労働者の増大
1984(昭和59)年以降の雇用者数(役員を除く)と非正規職員・従業員数および非正規職員・従業員数の比率を下図に示す。総雇用者数は増加しているが、正規は若干減少し、女性パートタイマーの増加等、非正規の比率が増大している。厳しい時代には、正規を雇わず非正規で賄うようになってきている。
2.労働組合数と組合員数
昭和20年のGHQの指導により、労働組合の結成が促進された。昭和21年には労働者の41.5%が組合に加入した。最高は昭和24年の55.8%である。それ以降組織率が下がり、10年以上前に2割を切り、昨年には17.7%になった。この数字は公務員を含めた数字で、公務員を除けば16.6%である。さすがに1,000人以上の大企業では44.9%と高いが、100人未満の中小企業では、僅かに1.0%である。社労士は中小零細企業を相手にすることが多いが、最後の事例紹介で取り上げる合同労組(コミュニティ・ユニオン)の役割が大きくなった。
年 |
単位労働組合数 |
単一労組組合員数 |
雇用者数
|
推定組織率
|
昭和20年 |
509 |
381 千人 |
--- 万人 |
3.2 % |
21年 |
17,266 |
4,926 |
--- |
41.5 |
22年 |
23,323 |
5,692 |
1,256 |
45.3 |
23年 |
33,926 |
6,677 |
1,259 |
53.0 |
24年 |
34,688 |
6,655 |
1,193 |
55.8 |
25年 |
29,144 |
5,774 |
1,251 |
46.2 |
26年 |
27,644 |
5,687 |
1,336 |
42.6 |
28年 |
30,129 |
5,927 |
1,631 |
36.3 |
40年 |
52,879 |
10,147 |
2,914 |
34.8 |
58年 |
74,486 |
12,520 |
4,209 |
29.7 |
平成元年 |
72,605 |
12,227 |
4,721 |
25.9 |
3年 |
71,685 |
12,397 |
5,062 |
24.5 |
7年 |
70,839 |
12,614 |
5,309 |
23.8 |
8年 |
70,699 |
12,451 |
5,367 |
23.2 |
15年 |
63,955 |
10,531 |
5,373 |
19.6 |
25年 |
54,182 |
9,875 |
5,571 |
17.7 |
(うち女性) |
(------) |
(3,034) |
(2,404) |
(12.6) |
3.企業別組合
企業別組合とは、特定の企業ないし事業所ごとに、その企業の本雇いの従業員(正社員)という身分資格を持つ労働者(ホワイトカラーとブルーカラーも合体して)だけを組合員として成立する労働組合のことである。我が国の労組の特徴は企業別組合である。民営企業の労組のうち企業別組合は93.4%で、所属する組合員は全民営企業組合員の87.9%である。古河電工労働組合は古河電工の正社員だけが加入しており定期従業員は入っていない。
労組と企業は本来労使対決の関係にあるが、企業別労働組合であるため、労使一体となって他社との競争に協力するとの良さがある反面、労使対決の交渉力という面からは力の弱さは否めない。
4.労働争議件数・不当労働行為・救済申立件数等の推移
労働争議とは、労使交渉が不調で、労働委員会等の第三者に解決を相談するケースである。労働争議件数は賃上げ率が最高であった昭和49年がピークで10,400件を超え、参加労働者は14百万人を超えた。その後は昭和50年代後半に一時的に増えたが年々減少し、最新の平成25年には争議件数は507件、参加労働者は13,000人であった。
5.参考: 民間主要企業における春闘賃上げ状況の推移
昭和49年が32.9%と最高で、平成14年以降10年間は2%を切っている。平成26年はアベノミクスの政労使会議等の効果で2%を超えたが、かつての高率の賃上げはない時代になった。
6.参考: 完全失業率の推移
失業率は景気の動向と関係し、昭和30年以降は2%前後で推移し、決して高い値ではない。バブルの崩壊後は失業率が徐々に高くなり、平成14年には5.4%と過去最高となった。そのあとで少し持ち直したが、リーマンショックの影響で平成22-23年には5.1%と高くなった。現在は3.9%であるが、日本の失業率としては決して低くない数字である。なお、日経新聞の月曜版には毎週失業率が載っている。
第3章 個別労働紛争の時代へ
1.個別労働紛争の増加の背景
産業構造が大きく変化して今や第三次産業化、サービス産業化している。この業界には最近マスコミを賑わしているブラック企業があり、過労死や自殺が問題となっている。景気の変動が厳しく、最近は長期低迷しており、第三次産業は厳しい。
一方では雇用構造が変化し、昭和61年に労働者派遣法が施行され、競争に打ち勝つために正社員を増やしたくないということ等から非正規社員が増えた。それらの影響もあり労働組合の組織率が低下している。
2.個別労働紛争とは
個別労働関係紛争解決促進法第1条によると、賃金、労働時間などの労働条件やその他労働関係に関する事項についての個々の労働者と事業主との間の紛争は個別労働関係紛争である。
労働審判法第1条でも、個別労働関係民事紛争について同様の規定がある。
3.個別労働紛争解決制度の充実に向けた取組み
労働組合と使用者の間に集団的労使紛争が起きると各都道府県の労働委員会があっせんや調停あるいは仲裁といった解決をしてくれる。集団的労使紛争が減り個別労働紛争が増えているため、東京、兵庫、福岡を除く道府県の労働委員会は個別労働紛争解決に向けた取組みも行っている。
個別労働紛争の解決のためには、最終的には法律的な論争によって裁判(訴訟)で決着を付けることになる。労働法の勉強では必読書である「労働判例百選」(有斐閣)の中に、「古河電気工業・原子燃料工業事件」が載っている。古河電工から原子燃料工業(古河電工50%と住友電工50%の合弁会社)に出向させた社員の勤務状態が悪いために古河電工復帰を命じたが、復帰命令を拒否したことにより懲戒解雇した事件である。1審だけで4年間、高裁から最高裁まで含めて合計約12年間掛かって古河電工が全て勝訴した。このように裁判は非常に時間が掛かるのに加えて、訴訟に持ち込むより何とか円満にと考える日本人の国民性から、裁判に訴えるのはごく少数に留まっている。
このような中で個別労働紛争が増えることから、労働行政機関の体制整備が必要になる。平成13年に個別労働関係紛争解決促進法が施行され、労働局や労働委員会で個別労働紛争の解決に取組むことになった。平成18年には労働審判制度ができた。平成19年には裁判外紛争解決手続利用促進法(ADR法)が施行され、できるだけ裁判所以外の機関で自主的な解決を図ろうとするものである。この法律の下で、「社労士会労働紛争解決センター」が平成20年に法務大臣の認証を得て、全国43都道府県と全国社会保険労務士連合会の合計44か所にセンターを設置し、個別労働紛争の解決に精力的に取組んでいる。
4.個別労働紛争解決システムの全体像
個別労働紛争解決の仕組みは、①裁判所、②労働委員会や労働局の行政、③民間型ADR(弁護士会紛争解決センター、司法書士会調停センター、社労士会労働紛争解決センター)と多様である。
第4章 裁判所による個別労働紛争解決制度のポイント
1.訴訟・小額訴訟、仮処分、支払督促、民事調停、労働審判等
2.地方裁判所の新受件数
地方裁判所に新しく申し立てられ受理された件数は1985(昭和60)年には仮処分も含めて1,000件程度であったが、バブル崩壊後には2,000件程度となり、最近は7,000件程度になっている。2006(平成18)年からは労働審判制度が導入されて以来、労働審判件数がどんどん増加しており、最近では3,700件前後となっており、利用者もかなり納得して紛争が解決されている。
出所:最高裁判所事務総局行政局「労働関係民事・行政事件の概要」各年の「法曹時報」8月号
3.労働審判制度について
労働審判は、裁判所で行うが、訴訟そのものではない。地方裁判所に労働審判委員会が設置され、裁判官(労働審判官)、経営者協会の経験者などの専門家である使用者側の労働審判員、労働組合の幹部で学識経験のある労働者側の労働審判員の3人から成る。原則として3回以内の期日で審理し、迅速に処理する。労働者と事業主の双方から話を聴き、調停で解決し、裁判上の和解と同様の効果を持つ。調停で話がつかない場合は、3人の審判官と審判員が労働審判で審理の結果を提示する。当事者が不満の場合は、自動的に訴訟に移行する。
労働審判に要する日数は平均70日である。裁判では通常最低1年は掛かるといわれており、労働事件については労働審判への信頼性が高くなっている。
労働審判は裁判と異なり、非公開である。事件名および会社名が出ることもない。調停が成立した場合には、裁判の和解と同様に強制執行力を持つ効果がある。社労士としては、労働局のあっせんや民間ADRのあっせんで解決できない場合は、労働審判を勧めている。
第5章 行政による個別労働紛争解決制度
行政による個別労働紛争解決制度には次のようなものがある。
① 労働局(国の機関)による相談・助言・指導・勧告、あっせん・調停
② 都道府県労働委員会における個別労働紛争の調整・あっせん
③ 都道府県主管の労政主管事務所 等
①の労働局(国の機関)による個別労働紛争解決システムを概説すると概ね次の通りである。
現在は行政による個別労働紛争の解決制度が大変充実している。厚生労働省の出先機関である労働局が各都道府県にある。個別の労働紛争は労働者と事業主とで自主的に解決して貰うが、難しい場合は労働局にある総合相談コーナーが労働問題に関する相談と情報提供のワン・ストップサービスを行う。相談内容に応じて担当者が労政事務所や労働委員会の相談窓口に取り次ぐ。労働基準法違反の場合には労働基準監督署等の指導・監督等を受ける。相談に乗ったが問題が解決しない場合は、労働局長の助言・指導・勧告を仰いだり、労働局の中にある紛争調整委員会(弁護士、学者、特定社労士等があっせん・調停委員となる)があっせん・調停を行ったりする。
労働局の総合相談コーナーに持ち込まれる相談件数は全国で100万件を超え、民事上の個別労働紛争相談件数はその1/4である。その内、労働局長の指導・助言を受けた件数は1万件である。あっせんは通常労働者が申請し、あっせん委員が労働者と事業主の意見を聞いてあっせんするが、その件数は5,700件ある。
平成25年の労働関係民事通常訴訟事件の新受件数は3,200件で、労働審判事件の新受件数とほぼ同じである。労働審判においては出頭しなければ不利になるが、あっせんにおいては不利になることはないので、会社側があっせんに応じないケースがかなりある。
あっせん申請を受理した事件の紛争内容の内訳を下表に示す。解雇などの退職に繋がる件数は3,000件くらいである。最近はいじめ・嫌がらせ(通称パワハラ)の件数が増えている。
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個別労働紛争解決制度施行状況〔平成25年度〕 〔厚生労働省〕
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① 総合労働相談件数 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1,050,042件(1.6%減)
② 民事上の個別労働紛争相談件数 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
245,783件(3.5%減)
③ 助言・指導申出受付件数 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
10,024件(3.3%増)
④ あっせん申請受理件数・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5,712件(5.5%減)
(※ カッコ内は、平成24年度実績との比較)
●平成25年の労働関係民事通常訴訟事件の新受件数(裁判所) ・・・ 3,209件(平成24年3,224件)
●平成25年の労働審判事件の新受件数 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3,678件(平成24年3,719件)
「④ あっせん申請受理件数」の主な紛争の内容
普通解雇 1,353件 整理解雇 163件 懲戒解雇 98件
労働条件の引下げ 546件 退職勧奨 470件 出向・配置転換 175件
採用内定取消 146件 雇止め 548件 その他の労働条件 548件
雇用管理等 77件 いじめ・嫌がらせ 1,474件 その他 355件
(※内訳が複数にまたがる事案もあるため、合計は6,062件)
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総合労働件数および民事上の個別労働紛争件数は下図に示すように年々増えている。
労働局の助言・指導申出件数およびあっせん申請件数も下図に示すように年々増えている。あっせん件数はリーマンショック直後の平成20年度がピークで今は少し減ってきている。
労働局の紛争調整委員会によるあっせんでは、あっせん委員が一人で対応するが、労使双方が対面して話し合うことはせず、原則として個別に話を聞く。あっせんの場で、特定社労士が弁護士に代わって、申請人や被申請人の代理を務めることができる。
第6章 民間ADRによる個別労働紛争解決
1.認証民間紛争解決機関に与えられる効果
法務大臣の認証を得た民間紛争解決機関は、弁護士または弁護士法人でなくても、報酬を得て和解の仲裁業務を行うことができる。
2.身近な民間紛争解決機関(民間型ADR)
①社労士会労働紛争解決センター、②日本産業カウンセラー協会ADRセンター、③弁護士会紛争解決センター、④司法書士会調停センター等がある。
3.社労士会労働紛争解決センター
講師は、現在「社労士会労働紛争解決センター東京」の副センター長として、あっせんの運営の責任者を務めている。センターは平成21年にスタートしたが、未だ周知が不十分で、取扱い件数を増やそうとしている段階にある。現在増えているのは、退職後の時間外手当未払い請求である。あっせん申立時の手数料は、現在は無料である。センター東京は平日の夜間と土曜日にあっせんを行っている。あっせん委員は労働局の場合は原則一人であるが、センター東京では原則として特定社労士2名が対応する。あっせん回数は原則1回であるが、解決しそうな場合は3回まで設定することがある。参考に「個別労働関係紛争解決のしおり」(社労士会労働紛争解決センター東京編)を配布した。
第7章 特定社会保険労務士の役割
最近の社会保険労務士試験は難しく、昨年の合格率は5%を少し超えた程度であった。合格した社会保険労務士の内、60数時間の能力担保研修を受け、紛争解決手続代理業務試験に合格した者が特定社会保険労務士となる。この研修では3日間のグループ研修があり、各グループにリーダー(東京会では200~300名の受験者がおり、10人に1人のグループ・リーダー)がつくが、講師はこのグループ・リーダーの東京会の代表として、グループ・リーダーを指導する担当を4年間務めた。
弁護士法72条では非弁護士が法律事務を取扱うことが禁止されているが、そのただし書で、別の法律に定める場合はその限りでないとされている。社会保険労務士法で、社会保険労務士の中で特定社会保険労務士の資格を有する者は、個別労働紛争の紛争解決手続代理業務を行うことができる。その業務は、①労働局の紛争調整委員会でのあっせんの手続、②男女雇用機会均等法、育児・介護休業法およびパート労働法に規定する調停の手続、③労働委員会個別労働関係紛争解決に関するあっせん手続、④民間ADRが行う紛争解決手続において当事者の代理をすることである。
紛争解決手続代理業務に含まれる業務は、①あっせん手続、調停の手続および民間紛争解決手続について相談に応じること、②紛争解決手続の開始から終了に至るまでの間に和解交渉を行うこと、③紛争解決手続により成立した和解における合意を内容とする契約を締結することである。
補論 有期契約労働者の雇止め係るユニオンとの団体交渉・労働局あっせんの実例
コミュニティ・ユニオン(合同労組)は通称ユニオンというが、労働組合がない企業に勤める労働者のように組合に入っていない労働者や、非正規労働者が個人加入する地域的に組織された労働組合である。「東京管理職ユニオン」があるが、労働組合があっても企業別労働組合に加入できない管理職が加入している。多くのユニオンは、組合員のために、しっかりした活動をしている。
過去に携わった某社の事例を紹介する。この会社は製造業で、生産量減少に伴う人員削減の必要性による有期契約労働者(古河電工の場合は定期従業員という)の雇止め(契約更新拒否)に係る事案である。1年半働いていた有期契約労働者11名の内、設備負荷から人選を行い、7名は契約更新するが、4名は雇止めすることを契約期間満了の1か月少し前に通告した。大変しっかりした一人の女性(Aさん)が●●●●というユニオンに駆け込んだ。ユニオンから「通知及び要求書」が会社に届いた。Aさんが当組合に加入した、Aさんを雇止めするというが何回も契約を更新しているので解雇である、解雇権の濫用であるので解雇を撤回して正社員にし、Aさんの今後の労働条件については団体交渉に応じろ、というものであった。
団体交渉は拒否できないので期限までに3回団体交渉を行った。ユニオンは千葉支部であったが本部の事務局長が毎回東京から駆けつけた。会社の総務課長はしっかりしていて、契約更新の度に製造課長同席の下、契約更新時の面談等ガッチリと行っていた。社長からは引き下がるなと言われたが、引き下がる必要はないが何らかの解決金が必要かも知れないと伝えた。最後の交渉で事務局長から一銭も出ないと困ると言われた。この会社には定期従業員が辞めるときには年次有給休暇を消化取得する慣行があったので、Aさんの未消化の10数日の買い上げ金額相当の解決金を支払うことにした。解決金額も少額で、ユニオンの成果としては小さかったので、ユニオンの名前は出さない方が望ましいとの観点から、ユニオンからは「『通知及び要求書』の撤回とAさん退職に伴う確認書」を貰った。Aさんと会社の間でユニオンの名前が入っていない確認書を取り交わして決着した。
一方、BさんはAさんからユニオンに入って一緒に戦うよう働きかけられていた。Bさんは会社に言いたいことはあるが、ユニオンに入る気はないと断っていた。Aさんの件が決着してホッとしていたところに、千葉労働局から連絡が入った。Bさんは有給休暇を2日間残して退職し、あっせんを申請していたのである。雇止め無効で、6か月間の金を出せとのことであった。会社は一切引き下がる気はなかったが、あっせんには参加した。このときのあっせん委員は弁護士でなく特定社労士で、和解を成立させるためBさんと会社側に対して交互に譲歩できないかを聞いた。有給休暇2日間分の買い上げに相当する2万円を提示したが、Bさんは金額の問題よりも雇止めの際の製造課長の態度に不満を抱いていた。そこで、確認書に「会社は管理職等に対して今後は十分な社員教育を行い、トラブル等を未然に防止するよう努める」という文言を入れることで和解した。このように労働紛争が生じたときこそ、会社の労務管理を改善するいいキッカケになると考え、管理職研修も行った。
おわりに
講師は、古河電工では、人事・労政および管理部門を担当した。大変貴重な経験となったのは入社間もない頃に横電撤収計画を経験したことで、その後の本社労政担当、FITEC企画部門、日光副所長等々の業務、今日の社労士の仕事の面でも活きている。丁度50年前に新聞配達をしていた、ここ東山で古河電工の先輩方にお話しできたのは大変光栄である。重ねて心から感謝申し上げる。
Q&A
Q1: 人材派遣の場合、派遣先でのパワハラやいじめを受けた場合の解決方法は?
A1: 労働者派遣法では派遣元と派遣先に責任者を置くことになっており、両方とも対応しなければならない。あっせんの手続は、紛争状態になっていなければ、パワハラを受けているというだけでは受理しないので、まずは派遣先や派遣元の責任者に相談するか、労働局総合労働相談コーナーに行くと良い。また社労士会でも無料で総合労働相談所や社労士110番(電話相談)等も行っている。
Q2: パワハラやセクハラは定義されているか?
A2: セクハラは男女雇用機会均等法で具体的に定義されている。パワハラは国の検討機関で定義できたが、未だ法律上では定義されていない。業務指導と人格を無視する発言との区別は難しい。
Q3: 個別労働紛争解決システムの三つの柱に日本司法支援センター(法テラス)は入っているか?
A3: ADRとしての認証団体ではなく、弁護士が中心になって一般の相談に乗ってくれる団体だ。
Q4: 先ほどの事例からすると、●●●●(ユニオン)は最近ソフトになっているのではないか?
A4: 先程紹介したのは細かい事案で、会社の閉鎖など紛争の規模によって闘い方も異なる。
(記録:池田
)
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