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日時: 2013年3月11日(月) 13:00~15:15 演題: フラメンコギターの楽しみ はじめに 日野道生氏はフラメンコギターの演奏と音楽制作の第一人者として活躍されている。日野氏は前回2007年8月あかがね倶楽部での講演・演奏が好評を博し、再演の希望が多く寄せられたので、今回再び登場いただいた。 日野氏の略歴紹介 1948年東京生まれ。12歳より独学でフラメンコ、クラシック、ポピュラーギターを始める。19歳で伊藤日出男氏に師事。20歳でデビュー演奏。「伊藤日出男フラメンコギター合奏団」のコンサートマスターなど、レコーディング、コンサートで共演。1971年より数回スペインに遊学。アンダルシア地方を中心にフラメンコの研究を続け、フェスティバル、国営テレビ、ラジオに出演。また、舞踏団のギタリストとしてスペイン国内で演奏。日本国内ではギターのコンサート、リサイタルのほかCM、テレビドラマ、演劇、ショー、イベントなどで演奏や音楽制作にあたっている。また、アラブ音楽、ラテン音楽、和太鼓など他のジャンルとの共演にも積極的に取り組んでいる。日野道生フラメンコアカデミー主宰。 |
第1部 スペイン・フラメンコの旅
1.スペインを旅して(講演) スペインへのフラメンコ修行の旅を始めたのは1971年、フランコ独裁政権の末期に近い時代であった。スペインは1973年には当時の首相ブランコがバスク民族主義組織ETAにより暗殺されるなど混乱と緊張の時期を経て、1975年にフランコ総統の死去によって独裁政治が終焉し、1978年には新憲法の下で君主制民主主義国家となった。その後、経済的にも高度成長期に入り、1986年にはヨーロッパ共同体に加盟した。1992年にはカタルーニャ州バルセロナでオリンピックが開催された。同じ年にアンダルシア州セビリアで万博が開催された。カタルーニャ人はフランコ独裁時代には、バスク人のバスク語同様に自らの言語のカタルーニャ語の使用を禁じられるなど、抑圧されたことから中央政府への反感、対抗意識が強く、万博は国の行事であるがオリンピックはバルセロナ市が自ら作り上げたとの意識が強かった。スペインは民主化以降、あたかも文明改革が起きたように、急激に変化し、都市部では文化のインターナショナル化が進み、フラメンコなどの伝統音楽は変わらず継承されてはいるが、現代音楽では電子音楽などの新しいジャンルも多く取り入れられるようになった。音楽やファッションなどもアメリカナイズされ、表現の自由が進む一方で治安が悪化し、ここ数年は財政危機のため経済的な困難に陥っている。しかし、急速に変貌する都市部に比べ、地方・田舎は依然として美しい自然や景観をほとんどそのままの姿で留めている。 スペインはピレネー山脈で隔てられたイベリア半島でアラブ文化の影響をうけて独特の文化圏を築いてきた。スペインの文化を象徴的に表現する言葉「光と影」は特にアンダルシアなどの南部地方の文化・風俗に色濃く残る。強い日射しと影、青い海と空、情熱的で明るく、気さくな民族的性格など、北部との対比に見られるコントラストがこの地方の「光と影」を映し出している。 1971年以来重ねてきたスペイン旅行で、マドリード、バルセロナ、コルドバを含むアンダルシア地方、メノルカ島など各地に滞在し、それぞれの土地の純朴で質素ながら心豊かに暮らす人々との日常生活での触れ合いを通じて、音楽だけではなくスペイン人の気質まで吸収し身に染み込んでしまったように感じる。ギターの師匠も弾き方を教えるのに言葉はあまり使わず、 間違っていれば “No”、合っていれば ”Si“だけしか言わないので、フラメンコを体感的に覚え込んだ。スペインでかつて下宿した家庭や行きつけのレストランの家族との付き合いは今も続いている。 1971年コルドバ・グアダルキビル川の辺りで 2.フラメンコギター演奏 フラメンコはアンダルシア地方に発祥し18世紀に確立した、アラブ・イスラム系民族の音楽を源流とする民族音楽とされている。そのためフラメンコの旋律には、アラブ音楽の旋律に通じるものが多い。アンダルシア・コルドバ地方はかつて8世紀から15世紀にかけて8百年間栄えたイスラム王朝時代にアラブ系文化が定着し、キリスト教勢力による再征服後もヒターノ(ジプシー)などにより引き継がれて来た。“フラメンコ = Flamenco”は、歌(Cante)、踊り(Baile)、ギター(Toque)、カスタネット(Palillos)、掛け声(Jaleo)、手拍子(Palma)などで構成され、「民族音楽」というより「民族芸能」である。“Flamenco”の語源には諸説あるが、今から数百年前にヨーロッパ北部のフランドール(Flandre)地方からスペインに来たジプシー達の歌や踊りを見たカルロスⅢ世が気に入り「フラメンコ」(=フランドル人)と呼んだのが始まりとされている。 本日は、伝統的なフラメンコの曲はあまり聴き慣れていないので、分かりにくいと感じる方が多いと思い、クラシックのギター曲、ラテン・スパニッシュ圏の中南米の曲などフラメンコ以外の曲を取り混ぜて演奏することにしたい。演奏の途中で興が乗れば、演奏の邪魔になることはないので、いつでも“オレー”の掛け声をかけてもらってよい。クラシックのコンサートや歌舞伎のような決まりはないので、気楽に発声して欲しい。 ① アンダルシア・セビリアの春祭りの歌(セビリア民謡)~日野道生編曲~ この地方の春祭りではブラジルのカーニバルと同じで、約1週間の間ほとんど寝ないで歌い、踊り明かす。その間、人々は屋外にテントを張って、そこで寝泊りをしながら祭りを目一杯楽しむ。 ② 「ラパロマ」~セバスチャン・イラディエ-ル(スペイン)作曲~ この曲はキューバの民族芸能ハバネラ形式の曲で、イラディエ-ルがキューバ旅行中に港に飛ぶ鳩を見て曲想が浮かび、男を見送る娘が自分を鳩になぞらえて歌う恋歌として作曲したもの。 ③ 三曲メドレー~日野道生編曲“定番3点セット”~ ・ 「アランフェス協奏曲・第2楽章」~ホアキン・ロドリーゴ(スペイン)作曲~ 内戦で破壊されたマドリード近郊の町アランフェスの平和を祈る曲。 ・ 「愛のロマンス」~ナルシソ・イエペス(スペイン)作曲~ 映画「禁じられた遊び」の主題曲。カタルーニャ地方の民謡から採った曲。この曲に誘われてギターを弾き始める人が多い。 ・ 「コーヒールンバ」~ホセ・マンソ・ペローニ(ベネズエラ)作曲~ 原曲名は「モリエンド カフェ」(=コーヒー豆を挽きながら)。日本では1960年代に西田佐知子が歌って大ヒットした曲。 ④ 「アラベ」~日野道生編曲~ グラナダのジプシーが歌うプリミティブな「サンブラ形式」のフラメンコ・ヒターノ(ジプシー)の曲。アラブ風の旋律が色濃く混じる。アラビアのモスクで詠唱されるコーランの響きを思わせる。フラメンコギターの源流となったアラブの弦楽器“ウード”の音色をフラメンコギターで表現する。この曲は夕闇が迫る頃、薄暗がりの雰囲気で聴くのが似合う。日本のウードの奏者としては常味裕司氏が第一人者。 ⑤ 「アルハンブラ宮殿の思い出」~フランシスコ・タルレガ(スペイン)作曲~ ウマイヤ王朝が遺したグラナダの「アルハンブラ宮殿」をタルレガが訪れて曲想を得た有名なクラシック・ギター曲。庭園に流れる水音を模したトレモロ奏法が印象的。 ⑥ 「ジプシーの祭り」~アンダルシア民謡~日野道生編曲~ 典型的なフラメンコ・ヒターノの曲。会場も気が向いたら手拍子で合わせて欲しい。 クラッシクギターは音が伸びるようにローズウッドなどを使い厚めの板で作られていてやや重いのに比べ、フラメンコギターは逆に音が飛んで行くように糸杉など軽い材料で作られている。そのため保存も難しい。 ⑦ 「コーヒールンバで手拍子の練習を」 手拍子は手のひらの中央で乾いた破裂音を出すのがよい。2拍子ないし3拍子で合わせること。 ⑧ 「青い風」~日野道生作曲~ この曲は、三重県のある神社でフラメンコギターの奉納演奏をした折に、鎮守の森の緑、風音、水の流れ、さまざまな生命の存在などの印象から曲想を得て、帰京後作曲した。題名は「青い地球」に因んだもの。東北大震災の犠牲者の鎮魂のために心を込めてこの曲を弾く。 |
第2部 DVD上映 「日野道生とラスフローレス」 2006年7月に広島県福山市「福山リーデンローズ 小ホール」で上演した時の映像をこの講演会のために編集したもの。 ギター:日野道生 パーカッション:加藤直敬 バイレ:手下倭理亜 大沢玉紀 上演曲:1.セビリアーナス(セビリアの春祭り) 2.紹介、ガロティン(アンダルシアを起源としないフラメンコ曲) 3.アレグリアス 4.ルンバ・フラメンカ
Q1:日本のフラメンコ愛好者は8万人いるとのことだが、実際はどうか? A1:確かではないが、最近は日本各地を回っても手応えがあり、それに近い人数はいると思う。フラメンコ・ダンスはハワイアン・フラダンス、アラブのベリーダンスと並んで美容と健康のためのエクササイズとして愛好者が増えている。 Q2:ダンスの終りで決めるタイミングはどう取るのか? A2:曲の最後に近くなるとテンポが段々速くなり、足踏みの音でフィニッシュが近づいたことを知り、最後の一回転でぴたりと止める。ギターもあうんの呼吸で、瞬時に止めることに快感を覚える。最後で発する掛け声も“オレー!”だけでなく“アラー!”という場合もある。 Q3:このように美しい風景と音楽を醸し出すスペインの尊敬すべき国民性をどのようにみているか? A3:スペインの人達は一般に純朴で、外から来た者をフレンドリーに受け容れる。経済的に豊かでなくても、モノに頼らないで、皆で助け合いながら一所懸命に生きている印象がある。 (記録: 井上邦信) |