第 3 9 6 回 講 演 録

日時: 201217() 13:0014:50

演題: 邦楽入門講義と実演で伝統芸能を楽しもうーPARTⅡ
講師: 箏演奏; 生田流 箏・三絃教授 富士喜会 井上 富士喜 氏
       尺八演奏; 江雲会 竹林 鴻雲 氏



はじめに

講師・井上富士喜先生(女史)は前回、平成20年8月の当倶楽部での講演・演奏で多くの方から好評を博し、再講演の要望が寄せられたので、今回再登場をお願いした。井上先生は1975年に生田流の一派として「富士喜会」を創設されて以来、日本各地で演奏活動ならびに後進の指導、育成に尽力されている。この講演では邦楽・筝曲の伝統とその楽しみ方について分かりやすい解説に次いで、竹林鴻雲氏の尺八の合奏・伴奏の下に、一般になじみ深い古典的な名曲二曲と、心の和むポピュラーな歌曲数曲を演奏していただくことにした。


第一部  楽・筝曲の歴史と伝統

最初に導入曲として、井上先生がCDのバックに合わせて「さくら」「宵待草」「出船」を竹林師の尺八の伴奏で演奏。CDとの合奏は初めての試みとのことであったが、よく調和し、それと意識させない演奏であった。

1 .箏の構造と歴史

① 「筝(ソウ)」と「琴(キン)」の違い

一般に「コト」と言われる和楽器には「筝(ソウ)のコト」と「琴(キン)のコト」がある。両者の基本的な違いは、「筝」は絃(糸)と磯(台)の間に柱(ジ)を立てて音階を作るが、「琴」は柱(ジ)を立てず、指で絃を抑えながら音階を変える。その意味で現在「コト」と呼ばれているものは「琴」ではなく「箏」の字を当てるのが正しい。

② 歴史

奈良時代に中国(唐)から雅楽の管絃として13弦の琴が伝わり、古代琴は後に平安時代を経て、6絃の和琴(わごん)として発展し、公家・僧侶の間で歌や物語を唄うための伴奏楽器として使われるようになった。桃山時代には福岡県久留米市の浄土宗・善導寺の僧侶・賢順が雅楽をもとにした「越天楽」や「春風」、「四季のみだれ」などを作曲し、「筑紫流箏曲」として発展させた。江戸初期には八橋検校が筑紫流を基に楽器としての箏そのもの、および奏法の改良を行い、近世の箏曲の基礎を作り上げた。八橋検校は雅楽の調弦法に、陽旋律に対する陰旋律(半音階)を加え、「裏調子」という調絃・奏法を編み出した。後に、元禄時代に八橋検校の孫弟子・生田検校が箏と三絃を組み合わせて、「地歌」として発展させた。文政時代には山田検校が浄瑠璃の唄を中心とした筝曲を始めた。これら創始者の流れを汲んだ生田流、山田流が現在も継承されている。両派は、演奏法に大きな違いはないが、それぞれの演奏曲目が違うこと、使用する爪先の形が生田流は角ばり、山田流は丸みを帯びていること、演奏者の座る位置などに違いがある。

③ 箏の構造

現在の箏は全長約180cmで統一、各部の名称は龍に擬えて付けられ、頭部には「龍頭」、「龍額」、「龍口」、「龍舌」、「龍眼」、「龍角」などと呼ばれる部分があり、胴の上面は「龍甲」、裏面は「龍腹」、反対端は「龍尾」と呼ばれている。高級な箏は、表甲の裏側には共鳴を良くするため「綾杉」などと呼ばれる彫りが施され、龍舌は象牙製で蒔絵などの装飾が施されているものもある。脚部は「猫足」と呼ばれる。「柱(ジ)」は昔は紫檀などの木や象牙製の枝状の細いものが使われていたが、現在は主にプラスチック製の大型のものが使われている。(糸)は昔は絹糸が使われたが、現在は音質の良さと耐久性から、主に17.5匁のテトロン製の糸が使われている。絃の数は13本で、演奏者に遠い低音側から数えて1~10絃目までは番号順で呼ぶが、11絃は「斗(ト)」、12絃は「為(イ)」、13絃は「巾(キン)」と呼ぶ。箏の音階は西洋音楽の「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド」の7音階とは違い、「(キュウ)・商(ショウ)・角(カク)・徴(チ)・羽(ウ)」の五音階となっていてそれぞれの音階に強弱が付加される。尾部の「柏葉」も等級に応じて装飾が変わる。絃の糸は新しく張った糸を切り詰めたり、天地などをして3回張替し、同じ糸を10年間程度使うこともできる。


 筝の構造

2.三絃

邦楽でいう「三曲」とは箏、三絃(三味線)、尺八の三楽器で構成される。今回は三絃は演奏に参加しなかったが、次の機会には三絃も加えた演奏をしたい。

三味線のルーツは中国の「三絃(サンシュン)」で、これが琉球に伝わり「蛇味線=三線(サンシュン)」となり、後に室町時代に泉州・堺を経由して本土に伝来し、琵琶に改良を加えて「三味線(シャミセン)」としたというのが通説である。

3.尺八(竹林師解説)

奈良の正倉院には聖徳太子が吹いたと伝えられている尺八が収蔵されている。古代尺八は箏と共に雅楽の演奏のための楽器として奈良時代に中国・唐から伝えられた。古代尺八は6孔であるが現在の一般的なものは5孔となっている。その後古代尺八は雅楽の楽器としては廃れ、暫く使われなくなっていた。後に鎌倉時代に鹿児島地方で「天福」と称する1尺の短い尺八、「一節切(ヒトヨギリ)」と呼ばれる5孔1節のものが作られ一時流行した。江戸時代以降使われている「古典尺八」は5孔・3節で、「尺八」の名の謂われとなった1尺8寸のものが主流であるが、1尺2寸から2尺3寸まで全部で12本ある。明治以降作られ始めた「現代尺八」は西洋音楽の平均律が出せるよう調律されているものがある。5孔の古典尺八は基本的に洋楽の「レ、ファ、ソ、ラ、ド」の5音しか出せないため、7音や半音を出すためには、指で孔の開け方を調整したり、首を振ったりしなければならない。一方現代尺八には全音程を出すため孔を7つ開けたものがある。

我が師・井上江雲先生は尺八の基本5音程(ロ、ツ、レ、チ、リ)を次のように表現された。『ロ(全孔閉):大河が流れるが如く、ツ(1孔開):星が煌めく如く、レ(2孔開):広々とした野原の如く、チ(3孔開):純粋無垢な少女の如く、リ(全孔開):深山幽谷の如く』


尺八の構造

第ニ部 演奏と解説

最初に導入曲として、井上先生がCDのバックに合わせて「さくら」「宵待草」「出船」を竹林師の尺八の伴奏で演奏。CDとの合奏は初めての試みとのことであったが、よく調和し、それと意識させない演奏であった。

1.「秋の言葉(あきのことのは)」

この曲は本来であれば箏が2面で本手(基本旋律)、尺八が替手(伴奏旋律)として演奏するが、本日は新しい試みとして、尺八を本手とし、箏が替手となって演奏することとしたい。通常は尺八は替手として箏に合わせて演奏すればよいところを、この組み合わせでは尺八は本手として独りで正確に吹かなければ箏が合わせられないため、尺八にとっては大変難しい演奏となる。

江戸時代には三絃と箏で合奏する曲が多数作られたが、明治時代になると箏のみで演奏する曲が盛んに作られるようになった。この「秋の言葉」は明治初期に岡山出身の西山徳茂一(ニシヤマトクモイチ)が作曲し、岡山藩主の池田茂政公が作詩した。この曲は生田流で「秋」と名の付いた曲の中で「秋の曲」とともに“双璧”と言われる。明治筝曲の代表的名作で、三絃を用いず、手事形式の純筝曲である。後に松坂春栄氏による補作も加わって完成した曲となった。

タイトル中の「言葉」を「ことのは」と読むのは、それが「和歌」を意味するからである。曲中には和歌で詠まれた情景~桐の葉が落ちる様子や、松虫、鈴虫、くつわ虫などの秋を告げる虫の音など~が歌詞に詠み込まれている。歌詞の最後は源順(ミナモトノシタゴウ)の和歌から引用して「今宵ぞ秋の最中なりける」と結んでいるが、これが和菓子の「最中(モナカ)」の由来となったといわれる。

虫の音が砧拍子に和したあたりは秋の情緒が美しく響く。「砧(キヌタ)」とは川沿いで洗濯をするとき木や石の上で槌を持って布を叩くことをいう。筝曲で「きぬたもの」と言われる曲で、“チリンチリン”を繰り返す伴奏で曲を引き立たせる奏法を採り入れている

2.「千鳥の曲(ちどりのきょく)」

この曲は幕末期に活躍した吉沢検校の作曲によるもので、「六段の曲」(八橋検校作曲)と共に広く知られている。吉沢検校は従来の三絃中心の筝曲からの脱却を図り、三絃の入らない箏のみの曲~「千鳥の曲」「春の曲」「夏の曲」「秋の曲」「冬の曲」などを作った。

この曲は「古今和歌集」「金葉和歌集」から千鳥を詠んだ和歌二首を採り歌とし、「前弾き」(前奏部)、「手事」(間奏部)が加えられ、吉沢検校の考案による「古今調子」という雅楽の箏の調絃、音階を採り入れた調絃法が使われている。本来胡弓との合奏曲であるが、後世尺八のパートが作られた。「前弾き」は雅楽的で荘重な楽箏風、尺八が笙風な和音を奏で、次いで「前唄」は古今和歌集の和歌「しほの山さしでの磯~」が節付けされ、続く手事は前半が「序」、「波の部」と呼ばれ、波の寄せ返す様を、尺八が松風の音を描写する。後半は「千鳥の部」とも呼ばれ、千鳥の鳴き声の暗示で始まった後、テンポが速まり、音楽的な展開とともに山場を迎える。やがて緩やかになり、風を暗示する手法「摺り爪」で一段落する。「後唄」は「金葉和歌集」の和歌「淡路島 通う千鳥の~」が雅楽の朗詠を模して唄われる。

3.「懐かしい日本の調べ」メドレ―

懐かしく馴染み深い日本の童謡・唱歌を、CDの演奏に合わせて箏と尺八で演奏する。尺八はそれぞれの曲の音程に合わせて適したものを選ぶが、それでも合わない音を出すためには「ねじり吹き」などの技法を使う。演奏に合わせて参加者に歌ってもらってよいことにする。
① 「浜辺の歌」(“あした浜辺を、さまよえば~”)
② 「荒城の月」(“春、高楼の花の宴~”)
③ 「椰子の実」(“名も知らぬ遠き島より~”)
④ 「早春賦」(“春は名のみの風の寒さや~”)
⑤ 「平城山(ならやま)」(“ 人恋うは かなしきものと~”)
⑥ 「浜千鳥」( 青い月夜の 浜辺には~”)

Q&A

Q1:箏や尺八の流派ごとの家元制度は現在どのように継承されているか?
A1:箏については、現在も生田流や山田流などの家元が免許を出す制度は続いている。一部には免許を持たないで教えている向きもある。尺八は、2大流派のうち都山流は全国組織で研修体系や評議員制度が確立され、免許制度もしっかりしている。一方琴古流は群雄割拠状態に近く、地方には小さい分派組織があるが、全国的には竹友社、竹明社などの有力分派組織がある。竹林師はその中の一派「江雲会」に属する。いずれにしても勝手に家元を名乗ることはできない。

Q2:尺八に使われる竹の種類と産地は?
A2:主に「真竹(マダケ)」が使われる。産地は京都以西では岡山、鳥取県境の大山(ダイセン)山麓など、東では茨城、群馬辺りである。厚肉の良質な竹を得るためには夏・冬の気温差が大きいところが適している。

Q3:絃の材質・太さは13本とも同じとのことだが、張り方(張力)も同じか?
A3:張力は音の高い方の絃ほど強く張られている。

追記
  井上富士喜先生の箏の演奏のCDが下記タイトルで販売されているので、ご希望の方は先生に
  直接、あるいは下記のインターネット
サイトにてお申し込み下さい。
     『井上江雲の尺八』{製作・発売元}江雲会本部 2,000円
         {尺八}井上江雲、{箏}井上富士喜 {収録曲}「六段の調べ」「乱輪舌」
     http://thematsuriya.shop-pro.jp/?pid=16806141

(記録:井上邦信)