第 3 8 7 回 講 演 録

日時: 平成23年6月7日() 13:0014:30

演題: 「9.7尖閣事件」と関連する政治、外交過程

講師: 法政大学 キャリアデザイン学部 教授、 博士(学術) 趙 宏偉 氏

はじめに

 自分が来日した1980年代後半から1990年代前半にかけては、日中関係は良好で最高潮に達した時代であったといえる。特に1992年に天皇、皇后両陛下が訪中された折は、中国国民には最初戸惑いがあったものの、北京-西安―上海と巡幸が進み、民衆が両陛下の人柄に直接触れる機会が増すごとに、歓迎と友好のムードが盛り上がり熱くなっていった。しかし、その後90年代後半から日中関係は悪化の一途をたどり、最近は日本の世論調査では「中国に親しみを感じない」という人が8割にも及び、両国関係が良好な時期には8割の人が「中国に親しみを感じる」としていたのとは全く正反対の関係になってしまった。「なぜ日中関係がこのように悪化してしまったのか」を究明することが自分の一つの研究課題であり、本日の講演の基調となる問題意識でもある。90年代後半から日中関係を悪化させた主な問題は、①歴史認識(「靖国」問題)、②台湾問題(大陸統一か、現状維持か)、③東シナ海資源開発問題、④尖閣諸島問題の四問題である。

 本日の講演では④尖閣諸島問題について、昨年9月7日に起きた中国漁船と日本海上保安庁巡視船との衝突事件を研究事例として取り上げる。自分は中国人としてではなく、国際関係の一研究者として発言するため、往々にして日本人、中国人の何れからも嫌われることがあることを講演に先立ってお断りしておきたい。

Ⅰ 国際社会・国際事件をみる方法

 国際事件を通して国際社会をみるときには常に下記の方法によることにしている。

① 国際事件の経緯を時系列で把握する。客観の事実を知る。

② 事件の事柄に関わる国際社会の仕組みを調べ、それを基準として「是非・白黒」を判断する。

③ 事件をめぐる政治・外交過程をみる。

④ 事件に関わる因果関係を分析する。

.7尖閣事件」についても上記の方法を適用して考察することとする。

Ⅱ 「9.7尖閣事件」の時系列経緯

1 衝突 2010年9月7日午前11時ごろ、日本の領海とされる尖閣諸島から12海里の水域内で、中国漁船が日本の巡視船の退去・停船命令を無視して逃走、巡視船に2回衝突したのち、日本の巡視船数隻に取り囲まれた状態で、12海里外の公海上に停船。

2 逮捕 停船した状態で15時間ほど経過した後、翌日の午前8時ごろに、公海上で公務執行妨害容疑で漁船が拿捕され、船長と船員15人が逮捕されて石垣島に連行された。この15時間の間、民主党代表選中の菅首相から一任された仙谷官房長官は、前原国土交通大臣、岡田外務大臣らの主張を受け容れて、逮捕の執行を政治判断。その間中国側には特別の動きなし。

3 釈放 13日に船員14名は釈放し、漁船を返還。船長に対しては、裁判所は10日間の拘置延長、その10日間経過後の19日から再度10日間の拘置延長を認め、起訴し裁判に付すことが濃厚となった。中国側は当初口頭で釈放要求をしていたが、2回目の拘置延長が明らかになったところで公式に対日制裁策を発表、温家宝首相は船長の即時、無条件釈放がなければ「更なる強制措置」をとると公言。9月24日、那覇地検は「今後の日中関係を考慮する」として船長を釈放。日本政府は「政治介入は全くない」と繰り返し表明。

 報道などで逮捕は政治判断であったことが明らかになったにもかかわらず、釈放は政治判断ではないとする自己矛盾を露呈。中国側としては、日本で裁判手続きに入ると結審までに1年以上の長期間を要するので、それまでの間、日中関係が険悪な状態のままで長期間続くことは好ましくないと考え、早期終息のため速戦即決の強硬手段を打ち出した。強硬な態度であった中国政府が、船長釈放後急に静かになったのは、短期解決の目的が達せられたからである。

Ⅲ 「日中漁業協定」という国際仕組み

どのような海域で起こった事件であっても、全くの無法状態であったということはありえず、必ずそこで適用される国際的な仕組み、あるいは基準がある。この海域では、あまり一般に認知されていないが、それに該当するものとして「日中漁業協定*」(以下「協定」)が存在する。(*「漁業に関する日本国と中華人民共和国との間の協定」)

1 法適用 この海域で漁船が関わり発生した事案は、本来国内法に優先する国際協定として国会承認を経て2000年に発効した「協定」が適用される。国際条約の国内法に対する優先は日本国憲法第10章「最高法規」に規定されている。日本の国内法に基づく公務執行妨害罪より、国際条約である「協定」が優先適用される根拠である。

2 関係条項 国際協定はすべて妥協の産物であり、種々の利益の調整の結果である。そこでは完全な正義、公正、平等が必ずしも担保されるものではない。この「協定」により中国側が尖閣諸島に対する日本の実効支配ないし領有を事実上認める代わりに、漁船の越境行為については日本の国内法よりも「協定」が適用されることになった。以下に「協定」の内容で本件に関わる条項を整理して述べる。

第1 日中は、「自国の排他的経済水域において他方の締約国の国民及び漁船が漁獲を行うことを許可し」、「他方の締約国の国民及び漁船に対し入漁に関する許可証を発給し」、「許可証の発給に関し妥当な料金を徴収することができる」(第2条第2項)と定めている。すなわちこの水域で日本の実効支配権とそれに基づく排他的経済水域が存在し、日本は中国の漁船にその水域で漁をする許可証を出し、その許可証の料金を徴収することを認めている。その上で、この水域での漁船の取締りについては、

第2 「各締約国は、暫定措置水域において漁獲を行う自国の国民及び漁船に対し、取締りその他の必要な措置をとる。各締約国は、当該水域において漁獲を行う他方の締約国の国民及び漁船に対し、取締りその他の措置をとらない」(第7条第3項)。すなわち、日本側は日本漁船のみ、中国側は中国漁船のみを取り締まり、相手国側の漁船の取り締まりなどの措置をとれないことになっている。

第3 「一方の締約国は、他方の締約国の国民及び漁船が規制に違反していることを発見した場合には、その事実につき当該国民及び漁船の注意を喚起する」(同上項)。つまり、魚種、漁獲量、許可証の所持、禁漁水域等の規制に違反している事実が発見された場合でも、「注意喚起」しかできない。

第4 「拿捕又は抑留された漁船及びその乗組員は、適当な担保又はその他の保証の提供の後に速やかに釈放される」(第5条第2項)。従って、仮に拿捕した場合でも、裁判に付すことはできないことになっている。

第5 但し、第6条(b)項で「北緯二十七度以南の東海の協定水域及び東海より南の東経百二十五度三十分以西の協定水域(南海における中華人民共和国の排他的経済水域を除く)」を前の諸条項(第1条から第5条)の適用から除外すると定めた。つまり尖閣諸島周辺水域はこの協定の主要な対象水域である「暫定措置水域」とは別の協定水域として設定された。

第6 ところが、第11条は次のことを定めた。「日中漁業共同委員会」は「第6条(b)の水域に関する事項について協議し、各締約国の政府に勧告する」。両国政府は「勧告を尊重し」「必要な措置をとる」。ここで尖閣周辺を含む北緯27度以南の水域での中国漁船の越境行為に対する取締規定は、日中漁業共同委員会に一任され、言い換えればブラックボックスの中での作業とされ、そして国会等に出さなくてもよい非公表の扱いとされた。

第7 「非公表規定」の真相

 日本人であれば、情報公開法に従ってこの「非公開規定」の公開請求をすることができるが、中国人である自分にはその権利がないので、報道などで得られる情報に基づき、下記のように分析をした。

① 9月27日 仙谷官房長官は記者会見で「1997年に中国と協定がされている。これに基づいて両国の漁民の漁業の仕方について再確認することが行わなければならない」と、9.7尖閣事件について、国内法のみならず、日中漁業協定が適用されることへの認識を初めて表した。これは自分の「日中漁業協定」ついてのコメントが中国の有力紙に掲載された翌日のことであり、その翻訳文を仙谷氏が読んだ可能性もある。

② 10月25日 仙谷官房長官は記者会見で中国の漁業監視船が尖閣周辺の接続水域内を航行していることについて「当日は漁船をほとんど視認できておらず、監視船が(漁船が)領海内に入ることを防ぐというケースではない。平たく言うと接続水域や領海内を徘徊する活動を何のためにしているか、そういう活動はよろしくないということだ」、「(中国)漁船を領海に入らせない活動ではないので、あまり気持ちよくない」と述べた。この発言から次のことが読み取れる。「中国の漁業監視船は、漁業協定第6条(b)の尖閣周辺を含む北緯27度以南の水域を航行し、自国漁船の越境行為を取り締まる行政権が『非公表規定』により認められている。日本側が行政権の面で中国側に譲歩したことになるが、中国の漁業監視船は「釣魚島水域」(尖閣諸島)で、中国人民が思っているように、中国漁船の操業を守っているのではなく、その逆で中国漁船を尖閣水域に入らせないように監視し、日本の海上保安庁と同じ職責を担っている。

③ 9月28日 今まで漁業協定が実行されてきた実態について、自民党政権当時、衆議院外交委員会長だった河野太郎氏は、公式サイトに「日中漁業協定」の一文を書いている。それによると「尖閣諸島を含む北緯27度以南の水域では、お互いが自国の漁船だけを取り締まる」、海上保安庁は「操業している中国船は、違法行為なので退去させる。操業していない中国船については無害通行権があり、領海外に出るまで見守る」。河野氏は今回の事件を以って今までのやり方を「続けるのか、もっと具体的な主権の行使を行うのか、日本の最初の決断だ」と指摘した。

④ 傍証資料 2004年に漁民ではない中国と香港の活動家が尖閣に上陸する事件があり、小泉内閣は活動家達を速やかに国外追放した後、中国と活動家のケースについて「日本側は中国人を勾留しない。中国側は活動家を出航させない」という非公表の約束を交わして危機管理の万全を期した。9.7尖閣事件後にも、中国は香港から出航した活動家の抗議船を止め、日本との約束を守っている。

⑤ 傍証資料 2010年12月19日の中韓間の事例。東シナ海の韓国近海で起きた中国漁船と韓国警備船との紛争が発生した際、日中の「協定」と同様の「中韓漁業協定」の規定により、「韓国の警察は中国の漁船に対し取り締まりその他の措置をとらず、逮捕した中国漁船は速やかに釈放される」という声明が中国側から出された。韓国側もそれに応じて中国漁船を直ちに釈放した。

以上により、「協定」第6条(b)の「尖閣周辺を含む北緯27度以南の水域」での越境行為に対する取り締まりは、「日中漁業委員会の勧告」という形で「協定」の他の諸条項の規定に準じて行われるとみることができる。

Ⅳ 関連する政治、外交過程

 中国側は、日本の漁業協定破りはアメリカと企んだ日米同盟強化と中国包囲網を形成するための作戦であると誤認し、日本の作戦を断固として粉砕しなければならないとした。

 日本側は、菅政権が対米関係や国内問題で危機に陥っていた時期でもあったことから、主要閣僚はメディアポピュリズムに迎合して、偶然に起った9.7尖閣事件を対米関係改善と国内政局に利用しようとした。

① 9月7日は民主党代表選投票日の1週間前であり。菅政権側はもし「逮捕しない」という指示を出したら、翌日にもメディアにその情報をリークされ、「売国」というパッシングにさらされたら政権の命とりになる恐れがあり。政権防衛が至上命題という状況下で事態が展開した。

② 閣僚達は漁業に関する協定と慣例を知らずにいた。

③ 「協定」の制定者は外務省と農水省、執行者は海上保安庁。官の自己中心・省益中心。

 閣僚たちは一転して政治判断をしないことに。政官の緊張関係を生む。

この事件の処理の過程でみられた両国の外交・政治過程で特徴的なことは、

① 両国政府ともに「協定」の存在とそれによる問題解決について直接の言及を避けた。その理由は、この「協定」がそれぞれの国民感情を害する恐れのある内容を含んでいるからである。つまり、中国側にとっては尖閣諸島の実効支配権を日本に譲り、日本側は尖閣領海内での中国漁船の取り締まり権限という自らの行政権を中国に譲っていることにある。

② 日中両国ともに外務官僚の異動が早く、過去の外交慣例、条約・協定についての認識が疎くなる傾向がある。「協定」の管理・運営についてはそれぞれの漁業主管部門に任せているので、外務官僚はその存在・内容について殆ど認識していなかった。そのため、尖閣事件が発生した当初、外交当局は互いに「領土主権侵害」を前面に出して対抗することになってしまった。尖閣事件後に起きた中韓の漁業紛争においては、外交当局は尖閣事件を教訓として、事件後直ちに漁業協定の取り決めに従って解決した。

③ 両国とも政治がメディアポピュリズムに影響されている。問題が発生するとメディアが煽り、それにより形成された世論が増幅し、メディアはそれに迎合して更に煽り続けるという悪循環に陥っている。

④ 外交において官僚主義・省益主義がはびこり、国益が顧みられない。

 Ⅴ まとめ

日本は外交においても日本文化に由来する「距離感覚」が他国との間に保たれている、そのため外交には「距離外交」の性格が表れる。日本は一貫して対米は近距離、対中は中距離、対ロ(ソ)は遠距離という「距離外交」を遂行してきた。日米の「近距離」も「ゼロ距離」ではない。「憲法9条」はまさに対米距離を保つため、日本側がアメリカの作成した憲法草案に織り込ませた条項といえる。小泉首相以来日本は日米「ゼロ距離」を目指したため、日米・日中の相対距離のバランスを崩すことになった。日中関係については、中国人は友好関係を作るとなると、近距離・親密関係にもって行こうとするが、日本人は友好といっても馴れ馴れしさを嫌がり、一定距離を保とうとする。日本は日中間に潜在する問題を盾に対中「中距離」を保ってきたが、尖閣事件のように一旦問題が顕在化すると、問題のインパクトをコントロールするのが難しく、全面対決に陥り、「中距離」が「遠距離」になってしまう。

今後の日中関係は既存の諸問題を引きずりつつ、東アジア地域統合の流れの中で新たな共存の道を模索することになろう。

Q&A

Q1:中国は漁業協定を紛争解決の手段として利用するため、漁業委員会の両国協議に外交の専門家を参加させようとしているか?

A1:漁業委員会は漁業関係官僚同士が魚種・漁獲量・禁漁期間の協議をする場であり、北緯27度以南の水域内の実効支配権が係る領域での秩序の維持については、彼らの権限・能力を超えているので、毎年の共同委員会で協議されるものではなく、1997年の協定締結時に定められたままと考えられる。外交官僚がこの協定の意図を継承し、漁業関係官僚とともに協議に当たることが望ましい。

Q2:中国は南シナ海の南沙諸島で尖閣諸島と同様の領海問題を他国との間で抱えているが? 

A2:南沙諸島は尖閣諸島に比べて遥かに複雑で容易に解決し得ない問題を抱えている。  日中は1950年頃から今日まで60年間にわたって積み上げてきた「漁業協定」という秩序維持のための成熟した仕組みを持っている。しかし、南シナ海では関係するベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイなどの多国間で「共同宣言」はあるものの紛争を解決する仕組みが存在しない。関係国の独立時期が比較的新しく、南沙諸島の領有宣言の時期にも差がある。また関係国相互の利害関係の対立もあり、非常に複雑な様相を呈している。

 Q3:来年10月の党大会で予定されている中国の指導部の交代で、胡錦濤国家主席の後継者と目されている習近平国家副主席の政治姿勢はどうか? 共産主義に復帰するという報道もなされているが、その場合外資系企業に対する法的規制強化が近い将来行われる恐れはないか? 

A3中国共産党の幹部の子息を太子党というが習近平氏はその一人である。習近平氏の父・習仲勲氏は毛沢東に不忠誠であると疑われ、1962年に公職追放された後、1966年から始まった文化大革命期に10年間も投獄された。鄧小平により1978年に名誉回復され、広東省長、政治委員などを歴任した。その子・習近平氏は1953年生まれ、父が失脚した文化大革命において反動学生とされ、1969年から7年間、陝西省に下放された。1974年中国共産党に入党、下放された同地で生産大隊の党支部書記を務めている。1975清華大学化学工程部に入学、1979年に卒業。アモイ副市長、福州市党委員会書記を経て、2000福建省長となる。2002年49歳で浙江省党委書記に就任。2007年3月上海市党委書記に就任。同年10月の第17期党中央委員会で政治局常務委員に昇格、中央書記処第一書記にも任命された。2008年3月第11期全国人民代表大会で国家副主席に選出された。彼の経歴を見ると20代は陝西省、山西省などの貧しい辺境の地で、30代以降は浙江省、福建省などの沿海部で仕事をし、昇進を重ねている。国営企業は大部分内陸にあるが、浙江省、福建省などの沿海部は民営企業、外資系企業が多い。この経歴から判断すると、習近平氏は共産党政権を第一義的に護るが、民営企業・外資系企業にも理解を示すであろう。彼が外遊先で「飽食の民主主義国が貧しい発展途上国の体制を批判すべきではない」という趣旨の発言したことが共産主義色を強めるのではないかと受け取られたのではないか?

(記録:井上邦信)