日時: 平成23年2月25日(金) 13:00~14:30
演題: 2011年の日本産業界の動向と課題
講師: 日本経経済新聞 客員コラムニスト、専修大学 教授 西岡 幸一 氏
講師紹介
1946年大阪生まれ、1969年大阪大学理学部物理学科卒、1971年同大学院修士課程修了、1971年日本経済新聞社入社、編集局工業部記者、1985年日本経済センター主任研究委員、1988年日本経済新聞編集局編集委員、1991年論説委員(兼)、1994年米スタンフォード大学経済政策研究所研究員、1996年日本経済新聞論説委員兼編集委員、1999年論説副主幹、景気・産業政策・企業経営などを担当、「社説」「経営の視点」などを執筆、2003年コラムニスト兼論説委員、2008年から客員コラムニスト兼専修大学経済学部教授、日経新聞月曜朝刊コラム「核心」などを執筆
講演内容
― 経営者は20年前の忘れ物を取りに行け ―
日経新聞から30数年前に出向した日本経済研究センターの各企業からの同期出向者の会を先日催した際、出席メンバー10人が各自披露した経歴と近況が、その後の、特に90年以降の20年間に起きた想定を超える経済・社会の変動を象徴的に物語っているといってよい。
すなわち、所属企業が破綻した:3人、所属企業が他社と合併した:3人、現在有職者:5人 転職経験5回:1人、アスレチッククラブに行っている:6人、妻がカルチャースクール・芸事に通っている:7人、妻が働いている:2人、夕食を自分で作っている:5人、NPOを立ち上げた:2人、大学の聴講生になっている:2人、NHKの「ラジオ深夜便」を聴いている:6人(うち2人は朝5時まで聴いている、4時台の「心の時間」は必聴とのこと)。
彼らは今果たしてハッピーなのか? 彼らは皆、かつて各企業のエリートとして日経センターに派遣され将来を嘱望されていた人達ばかりなので、中には現状を不本意に感じている人もいよう。現状に満足している人もその幸せは実は就職難にあえぐ今の若者の犠牲の上に成り立ったものではないのか?
この20年間で起きたことはこの時代に生きた者としてしっかり総括しておく必要があると考えている。
図1 日経平均4万円・バブル崩壊後の20年
図2 過去20年間の歴史的な景気転換点
89年12月: 日系平均株価史上最高値 38,957.44円
91年2月: 「平成(バブル)景気」(86.11~91.2=51カ月)ピーク
93年10月: 同上後退期(32カ月)谷
95年1月: 阪神淡路大震災
97年5月: 「さざなみ景気」(93.10~97.5=43カ月)ピーク
99年1月: 同上後退期(20カ月)谷
00年11月: 「IT(バブル)景気」(99.1~00.11=22カ月)ピーク
02年1月: 同上後退期(14カ月)谷
07年10月: 「いざなみ景気」(02.1~07.10=69か月)ピーク
08年9月: リーマンショック
08年10月: 日経平均株価バブル後最安値 6,994.90円
09年3月: 「いざなみ景気」後退期(17カ月)谷底
現在大学で教えているゼミ3年生は89年<日経ダウ4万円>で生まれ、<日経ダウ1万円>で社会に出ようとしている。一方、終戦直後の46年<日経ダウ実質ゼロ円>に生まれた我々は<日経ダウ4万円>の熱狂を味わい、<日経ダウ1万円>になっても概ね経済的にはハッピーリタイアメントをしようとしている。就職も侭ならないまま氷河期のミザリーな社会に出ざるを得ない若者たちのために我々は何をすべきであろうか。私が提案するのは、主にシニア世代が保有する約1,400兆円といわれる金融資産残高の5~10%(70兆円~140兆円)を今後3年間で毎年1/3ずつ(23兆円~47兆円=GDP540兆円の4~8%)を追加的な消費支出に回すことである。運よく就職できたとしても、現在の大卒新入社員の初任給は20万円で、02年1月以降景気は長期回復過程にあるにもかかわらず、10年間据え置きのままである。この間多くの企業が業績を改善し、11年3月期では全般的にピーク時の7~8割まで回復するといわれているので、賃上げ分の支払い能力はあるはずである。大部分の企業は回復過程で内部留保を蓄積し、自社株買いをしてM&Aの原資にしようとしている。産業界全体として賃金改定に消極的となったきっかけは、04年の春闘でトヨタが業績底入れしたにも拘わらず賃上げを見送ったことにある。企業経営者の多くが結果的に貯め込んだ内部留保を何に使うか迷っているのが現状である。国内外でのM&Aに巨額の資金を投ずる計画はあっても、国内の設備投資に回す気力を失っている。M&Aでは市場の囲い込みができても、市場全体の拡大には余り寄与しない。経営革新に積極的な企業と保守的な企業との間で過去20年間に業績格差が拡大した事例を業界別に下記に示す。
表1 業界別代表企業業績比較
この表に掲げた会社はいずれも20年前にはそれぞれの業界内でほぼ同格で業容にそれほど大差はなかった。ところが、バブル崩壊後の業績改善、事業拡大戦略の路線の違いにより現在は圧倒的な大差がついてしまった。この表で比較劣位にある会社は概ね業界全体の従属変数のような横並びの経営戦略しか立てられないまま、殆ど20年前のレベルから脱却できず低迷している。これらの会社に言いたいのは「20年前に置いてきた忘れ物を取りに行く気力を持て」である。20年前に置き忘れた積極的な経営戦略をその後も継続していれば、内部留保が余って使い途に迷うなどということは起こりえないはずである。
先ず、建機業界におけるクボタとコマツを比較する。クボタは鋳鉄管事業など安定的な収益を稼ぐ伝統的な事業に安住してしまい、この20年間売上も利益も殆ど伸びていない。蓄積した内部留保は90年代半ばに米国で本業外の大型M&Aに投じ、ことごとく失敗した。一方、現在の日本企業の中で最も信頼ができる最優良企業としてのコマツは革新的な経営システムを導入して、世界市場を相手に20年間で急速な業績拡大に成功した。
次の典型的な比較例はビール業界のアサヒとサッポロである。アサヒは70年半ば~80年代にかけて業績が低迷した時代に住友銀行から社長派遣を受けて経営を再建し、90年頃からドライビールを売り出し、営業に長けた人材を投入し業界首位を奪還した。サッポロは戦略なきまま低迷を続けている。
企業のガバナンスが巧くいっているかどうか見分ける一つの方法がる。企業の主催するパーティーで、出席した各役員の周りに集まる人の輪の大きさがその役員の権限の高さに比例して正規分布をしているかどうかで分かる。そこに異常なバラツキがあると、その役員への権限・能力の過度の集中あるいは権力の陰りが生じていることを示している。信越化学や住友不動産にその傾向が顕著に見られた。
日本の経営者が経営戦略でしばしば間違いを犯すのは、米国の大企業が捨てたり分割したりして売りに出した事業の買収である。GE、IBM、DuPont、ITT、Pfizerなどかつて日本の経営者が仰ぎ見た大企業が事業部門を売りに出すと得たりや応と買ってしまう。米企業が事業を分割したり捨てたりするにはそれだけの理由があるので、買収側の日本企業は多くの場合失敗し、経営の足を引っ張る原因となっている。典型的な例は日立がIBMのHDD事業の買収により数千億の赤字を出した例である。IBMがHDDなどを手放したのは低収益のコンピュータ・ハード部門を見限り、ソフト・サービス事業へ戦略的転換をしたためである。富士通がサービス部門を強化しハード事業の比率を4~5割まで下げたのに対し、NECは依然全事業の7割をハードが占めていることが業績低迷の要因である。日立もハード戦略を見直さなければならない。例えば、日本の電機メーカーが力を入れようとしているユーティリティ向けハードビジネスのうち風力発電施設について、驚愕すべき数字がある。中国は2010年に風力発電設備を1年で1,650万kW相当を供給・設置した。累積風力設備能力だけで既に4,500万kWを持ち東電の全発電施設の能力約6,400万kWの7割にも達する。日本が昨年1年間で設置した風力施設は僅か20万kW(累積220万kW)でしかない。因みに東電が建設中で5年後に完成予定の東通1号原発の発電能力は140万kW/基である。中国は柏崎刈羽(110万kW/基)級の原発15基分に相当する風力発電施設を1年で設置する能力を持っているということになる。日本でこれから15基の原発を設置しようとしても20年~30年は確実にかかる。中国のこの莫大な設備生産能力は、青海省などから消費地への送電線の建設の遅れなどもあっていずれ余剰が生じ、海外市場へ向けられることになろう。中国はソーラーパネル、液晶パネル、鉄鋼などでも同様の大量生産能力を備えつつある。日立など日本メーカーにはこれらの巨大物量作戦に対抗する術はなかろう。経営戦略上も総合電機メーカーの名前を維持するためにあれもこれも品揃えする時ではない。
― あと10年、「2020年」に居場所があるか? ―
企業の総合的価値を評価する指標が種々ある中で、日経新聞が最近出した「NICES」という評価指標がある(表1参照)。これは「投資家」「消費者・取引先」「従業員」「社会」という、企業を取り巻く4者のステークホルダー(利害関係者)のそれぞれにとっての「優れた会社」の評点を総合した企業ランキングである。私はこれらの評価軸を全体的にバランスよく高くする必要はないと考える。2つか3つの項目(軸)が突出していればよい。高度経済成長期の経営戦略ではこれらのすべての軸を高くすることを求められたかもしれないが、不安定で不確実な現在の市場に立ち向かうには、全項目で優れた会社にしている時間的余裕はない。今の日本はゲームでパスをつなぐ毎にゴールから遠ざかっているような状況にある。誰かが突出した力を発揮して突破口を開き前進しなければならない。ノーベル賞受賞者の根岸教授はノーベル賞を受賞する確率は1千万分の1だという。ノーベル賞創始以来100年で毎年10人の受賞者が出たとして、受賞者延べ1000人が全人類100億の中から選ばれたとすれば、確率は僅か1000万分の1ということになる。しかし日本人の優れた研究者が10人いて、そのうちの誰かが毎年違うテーマでの受賞を7年続ければ1/10の7乗で1000万分の1を達成することができる。企業にあっても日立とか三菱化学のような総花的で平準な事業構成ではなく、信越化学のように塩ビ、シリコンなど特化した事業で卓越した力を発揮する戦略をとるべきである。かつての「総合電機3社」のうち三菱はエレベーター・宇宙・FA・電装品に特化し、東芝も半導体と原子力・エネルギーに集中しつつある。日立も漸く選択と集中に向かい始めた。
私が現在日本で最強の会社と認めるコマツは大変優れた経営戦略を持っている。米国市場では「CAT(Caterpillar)社を追い越さない」という原則を守っている。CAT社の本社が位置するミシッシピー河沿いはアメリカの“Hartland”であり、シリコンバレーやウオールストリートでの戦いとは違い、CATを傷つければ米国民を敵に回すに等しい事態になる。トヨタはGMを追い越そうとしてバッシングに遭っている。コマツはその代わり重点市場として注力する資源国のカナダ、オーストラリア、中国、ロシア、南アなどの海外市場ではCATを徹底的に叩いている。コマツは物づくりの技術の若手への伝承がよくなされている。コマツは“KOMTRAX”というGPSによる「建機稼働管理システム」を建機に標準搭載し、世界中に存在するコマツの建機の1台ごとの稼働状況が本社に設置したボードにリアルタイムで表示されるようにしている。これは保守サービスの迅速な対応だけではなく、リアルタイムで市場・経営情報が収集できる優れたシステムである。コマツの強みは建機製品の構成部品のうち電子的部分が少なく、メカニカルな部分の比重が大きいことにある。日本は電子部品では競争力を失いつつあるが、機械的な部分では未だ優位にある。
― 企業は人が去ると止まる ―
企業の「企」という漢字から「人」を取ってしまうと「止」になる。日本ではパイオニア、JVC,沖電気などの電機メーカーで「人」が去ったために苦境に陥っている会社が沢山ある。正に「企業は人なり」である。私は89年以降に生まれた世代を“Generation C”と称している。“C”とは“Computerized”あるいは“Communication”の“C”である。彼らはインターネットを通じて常に誰かと繋がっている。しかし繋がっているのはヴァーチャルな世界でしかなく、リアルな世界、具体的には仕事、実業の世界との繋がりが希薄である。彼らにリアルの世界で働く場を与えてやることが政治・社会の喫緊の課題である。
Q&A
Q:新日鉄と住友金属の経営統合をどう評価するか?
A:両社が統合するとミタルに次いで世界第2位となるが、早晩中国の企業に抜かれることになろう。この統合計画の最大の意義はかつて「鉄は国家なり」と称して産業再編の際行われた経産省、メインバンク・金融界の指導も仲介も受けることなく自分たちの独自の判断で進めたことにある。今後国内ではJFEとの実質2社体制で進むことになる。一般に日本の産業界は非鉄を含めて、「雌雄」を決すべき2社があればよい。電機業界は競合者が余りにも多い。自動車は世界市場を相手にしているので必ずしも2社である必要はないが。
Q:TPP(環太平洋連携協定)は参加すべきか?
A:やらずに済むなら参加しない方がよいが、やらざるを得ないであろう。農業を守れば製造業が失う。製造業では日、韓,台で構造的に重なり競合している部分が多い。韓国が先行している間に奪われるものは大きい。日本の経済を支える産業界の生き残りのために残された時間軸はあと十年しかない。 以上 (記録・文責:井上) |