第 3 7 8 回 講 演 録


日時平成22年7月26日(月) 13:00~14:30
演題最近の脳科学の話題から ~脳科学はどこまで進んだか
講師科学評論家、翻訳家 田中 三彦 氏

講師紹介

田中三彦氏は古河電工の大先輩田中浩氏(昭和9年入社、元中央研究所所長)のご子息として、1948年に日光・丹勢の社宅で生まれ、幼少期を過ごされた。1968年東京工業大学工学部生産機械工業科を卒業、同年バブコック日立入社、原子炉設計技術者、1997年同社退社、著述・翻訳活動を開始。著書に「科学という考え方」(晶文社)、「原発はなぜ危険か」(岩波新書)など、翻訳書に「たまたま~日常に潜む「偶然」を科学する」(ダイヤモンド社)、「感じる脳」(ダイヤモンド社)、「無意識の脳・自己意識の脳」(講談社)、など多数。

講演内容

1) アインシュタインの脳

2) 脳と身体

3) BMI(Brain Machine Interface)

1. アインシュタインの脳

・名もない小さな病院で76年の生涯を閉じた天才

 アインシュタインは数あるノーベル賞受賞者の中でも未だにスーパースター扱いで、他の受賞者が秀才とすれば彼は天才ともいうべき特別の存在である。彼の死の経緯と死後遺体から切り離された脳にまつわる話を紹介する。

アインシュタインは1879年生まれ、特殊相対性理論を1905年、一般相対性理論を1916年に発表した。ノーベル賞受賞はたまたま1922年に来日途上の船上で聞いている。その後1933年に米国に亡命。プリンストン高級研究所の教授に就任し研究活動を行う。1955年に死去。

ドナルド・クラークの書いたアインシュタインの伝記によると、1955年4月12日アインシュタインは腹部に特別の痛みを覚えた。その前日には有名な、核廃絶を訴える「(バートランド)ラッセル・アインシュタイン署名」へ署名する科学者(湯川秀樹博士が含まれる)の名前についてラッセルから届いた手紙にもとづき、草稿を検討したばかりであった。しかし、その日は周囲の心配をよそに、彼は入院どころか医者を呼ぶことさえ拒否して、翌月のイスラエル独立7周年記念のテレビ演説のための原稿書きなどの準備を続けた。そして翌13日もニューヨークからの訪問者と演説の打ち合わせをした。その昼過ぎ訪問者が帰ったあと激痛とともに倒れてしまった。彼はその後も周囲の強い勧めにもかかわらず頑なに入院を拒んでいたが、16日朝ふたたび激痛に襲われ、遂にその痛みに屈し、近くのプリンストン病院(といってもプリンストン大学とは何の関係もない)という小さなかかりつけの病院に運び込まれた。翌17日の日中、一時、奇跡的に元気を取り戻し、見舞いに来た前妻ミレーバとの間にできた長男のハンス・アルバートと科学について話し、親友で後に遺産相続の責任者となる、経済学者オットー・ネイサンと政治について話したという。しかしその晩に再び激痛に襲われ、モルフィネが打たれた。その後しばらく安らいで眠っているようだったが、日が変わって1時間ほど経った深夜、アインシュタインは看護婦にドイツ語でぼそぼそと何かをつぶやいてから、静かに永遠の眠りについた。死因は腹部大動脈瘤の破裂。76年の生涯だった。

・解剖したのは名もない病理医師、トーマス・ハーヴィ

アインシュタインの死後数時間のうちの翌朝にその病院で遺体の解剖が始った。解剖をしたのはプリンストン病院という小さな町の小さな病院の名もない42歳の医師「トーマス・ハーヴィ」。その解剖の様子はカナダの女性ジャーナリスト、カロリン・エイブラハムが詳しく本に書いている。ハーヴィはエール大学で病理学を学んだ病理学者で、プリンストン病院で解剖を担当していた。アインシュタインとは一度往診をして知った程度の付き合いであるが、目の前の屍体が、かの天才アインシュタインであることを十分認識していた。しかし、彼はいつもそうしているように、死者の脳を脊髄と頭蓋骨から切り離してバケツに入れた。頭を失った遺体はその日の夕方、ニュージャージー州トレントンのユーイング墓地でオットー・ネイサンにより火葬に付され、遺灰はデラウェア川に撒かれたといわれる。特別な葬式は行われなかったらしい。長男ハンスはハーヴィがアインシュタインの遺体の頭を無断で切り離し、脳を取り出したことを知って激怒するが、ハーヴィが「天才の頭は科学的研究に値する」と説得し、またアインシュタイン自身も生前,自分の遺体が科学研究に付されることについて積極的な発言をしていたことが知られていたので、ハンスも最終的には研究成果を専門誌に発表することを条件として、アインシュタインの脳を研究用に提供することを承諾した。このことがニューヨーク・タイムズにスクープされ、マスコミ関係者がプリンストン病院に殺到することになった。ハーヴィは病理学者であって脳科学者ではないもかかわらず、脳細胞の研究スタッフも設備もないプリンストン病院でアインシュタインの脳の研究をしなければならない破目に陥り、ハーヴィにとっても病院にとってもアインシュタインの脳は大変な重荷になってしまった。病院長もハーヴィの研究が一向に進まないことでハーヴィを叱責していた。

・スライスされフォルマリン漬けにされた天才の脳の行方

ハーヴィはアインシュタインの脳をペンシルバニア大学に持ち込み、170個の切片にスライスした(後日、そのうち2片を新潟大学が保有していたことが分かった)。その後、ハーヴィはその切片をどのように処理し研究を進めたらよいのか分からず途方にくれたまま、それら切片を固めた状態のものをフォルマリン漬けにして広口瓶に入れ、病院から自宅に持ち帰ってしまった。その数年後、ハーヴィは研究の遅れを理由にプリンストン病院を追われ、ガラス瓶に入った薄くスライスされたアインシュタインの脳を携えて、プリンストンの町を離れた。世間の関心もそのうち薄れてしまう。そして以後長い間、アインシュタインの脳はハーヴィとともに行方不明になってしまう。

・突き止められた広口瓶の脳の在りか

1970年秋に「ニュージャジー・マンスリー」という雑誌の編集者マイケル・アーロンが若い編集員スティーヴン・レヴィにアインシュタインの脳の探索を指示した。レヴィは漸く1978年に、偶然のきっかけでカンザス州のとある生物学的検査機関で、そこに勤務していたハーヴィが、問題の脳の入った2個の広口瓶を段ボール箱に無造作に入れて保管していることを突き止めた。S.レヴィは早速「ニュージャージー・マンスリー」誌にスクープ記事を書いた。そしてそれが科学雑誌「サイエンス」でも紹介されると、「アインシュタインの脳」が大ニュースとなった。

・マリアン・ダイアモンドとグリア細胞

「サイエンス」の記事を読んだカリフォルニア大学バークレー校の有名な神経解剖学者、マリアン・ダイアモンドがハーヴィに手紙を送り、アインシュタインの脳の特定領野(ブロードマン脳地図の9番と39番)を指定して提供を求めた。ハーヴィは、じつはハンスとの約束を律儀に守っていて、科学的研究と論文発表を条件に、すでに何人かの研究者にアインシュタインの脳の切片を提供していた。そして脳科学者のM.ダイアモンドにも同じ条件で指定の切片を提供した。アインシュタインが死んで30年目の1985年、「エクスペリメンタル・ニューロロジー」(実験神経学)という地味な専門誌にM.ダイアモンドの執筆した「ある科学者の脳に関して」と題する論文が掲載された。論文の4人目の共同執筆者として、脳の提供者のハーヴィの名が記されている。この論文は大脳の「39野」と呼ばれている領野にある「グリア細胞」の数が平均的な人間のそれより著しく多かったことを明らかにした。この論文がきっかけとなり、以後――決してM.ダイアモンドらがその論文の中で述べたことではなかったが――「天才の脳にはグリア細胞が多い」という俗説が流布されることになる。しかし他方、それまではニューロンばかりが注目されていて、ほとんど関心をもたれることがなかったグリア細胞に脳科学者の注目が向けられるようになった。現在もグリア細胞に関してさまざまな興味深い研究がなされつつある。 

.ダイアモンドは「環境と脳」という著書で劣悪な環境に育ったネズミと良好な環境に育ったネズミの脳を比較し、それぞれの脳の発達にどのような影響が現れるかを研究し、前者のネズミは脳神経のネットワーキングがあまり発達せず、グリア細胞も少ないが、後者は何れも良好であることを明らかにしている。M.ダイアモンドがアインシュタインの脳の特に9番と39番の領野を要求した理由は、アインシュタインが生前「思考するときは、言葉や数式ではなく、直観とイメージと記号を重視する」と言っていたことから、知的・創造的活動に深く関わっているといわれる連合皮質に属するこの二つの領野を重点的に調査したいと考えたからである。しかし、アインシュタインの脳の39野でのグリア細胞の数を比較する対象となった平均値はカリフォルニア退役軍人病院で死亡した11人の退役軍人という特殊なグループの人の脳から得られたもので、死亡時の年齢差やM.ダイアモンド自身のいう、両者のおかれた「環境」の違いを考慮していないというテレンス・ハインズという心理学者の批判がある。しかしM.ダイアモンドの学説は全体的には否定されてはいない。M.ダイアモンドは知的・創造的活動に関わる脳の39野でニューロンの活動が活発になるとその部分のエネルギー代謝が増え、エネルギーの補給をするグリア細胞が必然的に多くなるという。グリア細胞はニューロンの軸策の固定、絶縁層を形成、栄養分を運搬、免疫作用、脳内のインバランスの補正をするなどニューロンの補助的な役割をすることが従来から知られていた。しかし最近の学説ではグリア細胞自身がニューロンの結合点、シナプスでの信号伝達に直接関わっているという説がある。

何れにしてもアインシュタインの脳自体が脳科学の発展に重要な役割を果たしたとはいえないが、グリア細胞の研究を進めるきっかけを与えたことは事実である。

2.脳と身体

・脳は体のためにある

現代の脳科学は「身体」のことをほとんどすっかり忘れてしまっているようにもみえる。体と脳を切り離してしまい、あたかも脳がすべてを主体的に司っているかのようにいう。しかしこの世には大腸菌のように脳のない生物はいても、脳だけの生物はいない。進化的に見ると、脳は生物の生存効率を上げるため有用なものとして派生したもので、その意味では、脳は身体のためにあり、体が脳のためにあるわけではない。脳は今の瞬間身体がどういう状態にあるかにたえず気を配っている。

・鬼才神経科学者、アントニオ・ダマシオと「ゲージの悲劇」

ポルトガル生まれの鬼才、アントニオ・ダマシオはこのような視点から、情動や感情が、あるいは自己や意識が、脳の中でどのように生み出されるかを論ずる、言ってみれば「身体派の」神経科学者である。ダマシオがこのような理論を打ち立てる一つのきっかけとなったのは、19世紀の半ばに、アメリカ・ニューイングランドの鉄道敷設工事の作業中に前頭葉を損傷した現場監督のフィネアス・ゲージの悲劇である。ゲージはタンピングアイアンという長さ1m強の鉄の棒で発破の孔に火薬を入れ、その上に砂を詰める作業をしていた時、誤ってその鉄棒で火薬を直接叩いてしまったため火薬が暴発し、鉄棒が左眼窩の上の額から頭頂部に向かって貫通し、前頭葉を大きく損傷してしまった。しかしゲージは身体的には強健で、事故直後も自分で歩き、1カ月後には職場に復帰した。ところがゲージは事故後全く無気力、無感情となり、仕事上でも無能力者となってしまい、その後不幸な一生を送ることになった。後にゲージの損傷した頭蓋骨の調査の結果、ゲージは前頭葉の「前頭前腹内側領域」を損傷していたことが分かった。ダマシオによると、ゲージのような前頭葉損傷者について特徴的なことは、記憶・知識は正常であるが、自分が生きていくために都合のよいことをやらず、逆にそれをすると生存を脅かされたり、社会的に抹殺されたりしてしまうような、自分にとって全く都合の悪いことを、平然として行い、正常な行動の選択能力を失ってしまうことにある。

また、エリオット(仮名)というダマシオの患者は、前頭葉内にできた髄膜腫の摘出手術の際、前頭前腹内側皮質を傷つけてしまい、仕事に復帰しても無気力で無能力な人となってしまった。ゲージ同様に記憶・知識については正常であるにもかかわらず、生存のためにとるべき適切な行動の選択ができなくなっていた。通常の心理テストや知能テストでは全く問題なく、高得点を上げることができるので、本人は単なる怠け者であると判断され、障害者の生活給付金を停止されてしまったところで、ダマシオの診察を受けることになった。ダマシオが観察したところ、他の前頭葉損傷者と同様に感情の起伏がほとんど見られないことが分かった。実際、これらの前頭葉損傷患者に外部刺激を与え、皮膚伝導率を測定してみた。たとえば、様々な種類の映像をスライドで提示し、時折、非常に刺激的な映像を提示した。健常者なら刺激的映像に反応して発汗し、皮膚伝導率が大きく変化するが、これらの患者の場合伝導率は殆ど変化しなかった。またカードを使ったギャンブルテストでは、これらの患者はハイリターンだがハイリスクのカードを特に選択する傾向が強いこともわかった。これらの実験結果は、エリオットのような患者の脳は、もはや、その個体の生存率を高めるという基本的な働きをしなくなっていることを示していた。

・ダマシオの「ソマティック・マーカー仮説」

われわれの現実の生活は、こうすべきか、ああすべきか、それとも・・・といった、意識的あるいは無意識的な「選択」で満ち満ちている。伝統的な脳科学者や心理学者の純粋理性説によれば、ふつう、こうした選択は理性的になされるのがベストであり、その選択に感情が関わるのはよくないこととされている。たとえば、「冷静であれ」というのが、そういう場合のわれわれの基本的戦略だ。しかしダマシオは感情がないと理性的な判断が機能しなくなると主張する。普通、何かを決心する場合――つまり「意志決定」には――多くの選択肢が関わっている。だから、その一つひとつに対して、こうすればこうなる、ああすればああなる・・・などと冷静に、理性的にやっていたのでは、いつになっても意志決定ができない。ダマシオによれば、意志決定に際して実際にわれわれの脳がしていることはそういうことではなく、まず過去の経験という「知識」にもとづいて身体が直観的、瞬間的に情動的、感情的に反応し、つぎに脳はその身体反応にもとづいて多くの選択肢の中から適切なものを少数選び出し、そのあと、いまや少なくなった選択肢を理性的に分析し、最終的な意志決定をしているのだという。これはダマシオの「ソマティック・マーカー仮説」と呼ばれている。脳の基本的な役目はその個体の生存を維持することだから、脳は身体がいまどのような状態にあるかを常にモニターしている。たとえばわれわれは腹痛などで気分が悪いという「背景的感情」に思考が支配されることがある。このように、脳の感覚野に間断なく伝えられる“現在の”身体信号こそ「自己」の認識の基本であるとダマシオは考えている。ダマシオにとって、身体感覚のないコンピュータに「自己」という意識が生まれることなどありえないのだ。対象物を見たり想起したりするとき、心拍が早くなる、総毛立つ、顔が赤くなる、筋肉が緊張するといった身体的変化――これを「情動」と言う――はきわめて重要だ。というのも、われわれがある対象物を見たり想起したりするとき、そのイメージが脳の中に形成されるだけではないからだ。イメージの形成と同時に、脳に保持されているその対象に対する先天的あるいは後天的知識――これを「傾性」と言う――が、われわれの身体になにがしかの変化(情動)を引き起こし、つぎにその情動的身体状態が脳に伝えられる。結局、われわれが何かを見たり想起したりすると、われわれの脳の中に、対象物のイメージと、そのイメージが引き起こした情動的身体が“並置”されるのだ。この並置の中でわれわれが感じる特別な気持ちを、ダマシオは「感情」と呼ぶ。ところが、前頭前野の腹内側皮質を損傷すると、傾性がうまく機能せず、その結果、身体状態の変化(情動)も感情も生じなくなる。個人の生存を脅かすような選択・意志決定をする際、しかるべき感情――たとえば、不安、恐れ、といった感情――が生じないので、しばしばその意志決定はひどく楽天的であり、個人の生存という視点からはひどく破滅的である。

この仮説のもとになったのは、前述のように、前頭葉の前部のある特定領域の皮質(前頭前腹内側皮質)を損傷しているダマシオの患者に見られる一連の不適切な意志決定や異常な行動だった。彼らはすべての伝統的な心理学的検査や知能検査を問題なくパスした。検査の中で提示されるさまざまな状況に対する行動の選択は適切だった。これは脳損傷後も理性が機能し、必要な知識が保持されていることを意味した。しかし実生活における意志決定、倫理的、道徳的判断はそうではなかった。感情が介入しないために、それは楽天的、破滅的だった。

3.BMI(Brain Machine Interface)

2002年、ミゲル・ニコレリスという在米のブラジル人神経科学者がヨザル(owl monkey)の脳に電極を刺して脳皮質が発する信号を解読し、そのヨザルがこれからどんな動作をしようとしているかをいわば「先読みして」、600kmの遠隔地に置いたロボットにその動作を行わせ、ロボットの動作がヨザルの動作と一致することを実験で示して世界を驚かせた。その後アメリカで、やはりチップを埋め込んだ人が、自分の意志で義手の指を動かしたり、コンピュータのカーソルを操作したりする実験に成功している。日本はBMIに関しては最初遅れ気味であったが、最近は世界のトップランナーになっている。昨年、トヨタ、理化学研究所、コンポンという会社の三社の共同実験で、頭の中に何かを埋め込む侵襲型の装置を付けず、非侵襲の帽子型の被り物で脳波を検出し、人の意思を読み取って動く電動車椅子のデモンストレーションを行っている。BMIはこのような民生用の使われ方を光の部分ととれば、遠隔操作の兵器のような好ましからざる影の使われ方もあることをよく認識しておかなければならない。

Q&A

Q.電位差の検出に超電導を利用する方法もあるが、説明のあったトヨタなどの実験ではどのような検出装置を使っているか?

A. 非侵襲型だが、材料までは分からない。非侵襲型には、脳表面に光(近赤外線)を当て、血液中ののヘモグロビンの量が多くなると反射光が減衰する効果を利用した光トポグラフィ方式もあるが、検出のタイムラグが大きいという問題がある。非侵襲型検出装置でも脳波の検出位置の選定が重要である。

                                                                        (記録:井上邦信)