第 3 7 3 回 講 演 録


日時:
 平成22年2月3日(水) 13:00〜15:00

演題: 欧州連合(EU)はこれからどう展開していくか

             〜今日までの経緯を振り返り現在の問題と将来を考える〜
講師: 元NHKボン支局長 解説委員 井手 重昭 氏

 アメリカの話は、いろいろな方が頻繁に議論している。多くの場合情報は正確に伝わっている。ヨーロッパの場合、地理的に遠く、太平洋を隔てるだけのアメリカとちがい、間にいろいろな存在も多く、どうしても正確に伝わりにくい。ヨーロッパを知るためには、EUのことを知ればヨーロッパの大体のことが分かる。EUを知るためには、これまで進めてきた基本条約を辿るのが正しいやり方であろう。以下に順序を追って説明する。皆さんの参考になればありがたい。

1.ローマ条約(1958年1月)

1958年1月は、第二次大戦終了後十数年経過していたが、ヨーロッパは日本とは比較にならない疲弊にさらされていた。生活の場が戦場になり、生活している人の眼前で、殺人、凌辱が行われ、莫大な被害が発生し、復興が困難な状況にあった。日本では、沖縄だけが同じような状況にあった。このようなことから、もう戦争はごめんだ、戦争は起こしたくないという気持ちが、住民の間から起きてきた。ヨーロッパで大戦を起こさないためには、ドイツ、フランスを戦わせなければよい。ヨーロッパ50カ国はいずれも、ドイツ、フランスのどちらかに深い関係があり、ドイツ、フランスが戦えば、ヨーロッパを二分することになる。ヨーロッパ以外の国でも、事情は同じでどちらかに勝たせたいと世界を二分する世界大戦に拡大していくのが、第一次、第二次大戦の姿であり、この繰り返しを何とか止めようとする動きが強くなった。

1952年、ドイツ、フランスに共同責任を持たせることを狙って、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が発足した。これが大変うまく展開した。西ヨーロッパ諸国では、統合の効果とその重要性が認識されるようになって、1957年に経済分野での統合とエネルギー分野での共同管理を進展させるべくローマ条約が調印され、翌年1月、欧州経済共同体(EEC)、欧州原子力共同体(EURATOM)が発足した。1967年、三つの共同体の管理組織を統合して、欧州共同体(EC)という一つの枠組みを作り、統合の深化が図られた。参加国はドイツ、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグの六カ国。ECの背景を考えて見ると、独仏不戦が大きなテーマになっている。これまでの国家単位が果たして適正な経済単位であるかという疑問があり、国別ハンザ同盟ともいえる関税同盟を作ろうという考えが背景にあった。ヨーロッパの50カ国を見ると、古代ローマ、古代ギリシャの文明に繋がる同根の文化を持ち、キリスト教文化という同じ倫理観(正悪について同じ考えを持つ)は、国をまとめる上で大きな力となった。経済だけでなく政治的統合(資本主義の高度化)も重要な課題であった。

2.マーストリヒト条約(1995年11月)

 オランダのマーストリヒトで調印されたので、この名称になった。マース川の漏斗(落合)という意味で、マース・トリヒトが正しい。この条約の発効で名称もECから欧州連合(EU)に変わり、政治統合へ向けて前進を図った。この条約の要点は次のようになる。

@1999年までの通貨統合、A西欧同盟の軍隊のEUへの取り込み、B各国の市民権からからヨーロッパ市民権へ、C共通外交・安保政策、D議会権限の拡大、E閣僚理事会での特定多数決分野の拡大、などが盛り込まれた。EUの最高意思決定機関である閣僚理事会で、拒否権を制限してできるだけ多数決に移行させようという動きが出てきた。多数決で決めると国家主権はどうなるのかという問題があり、EUは全てに多数決は取れないのである。官僚たちが考えたSubsidiarity(ECと国家主権の権限の分離)という概念は一般市民に理解困難であり、官僚が一般市民から遊離していく存在となった。こうしてマーストリヒト条約は、批准の段階で1992年、デンマークが僅差で国民投票で否決し、これはDショックといわれた。これに続くフランスがもし拒否したら、EC体制の崩壊に繋がると、フランスの投票結果を固唾を呑んで見守った。賛成1296万(51.05%)、反対1255万(48.95%)の僅差で可決されたが、大国フランスで、半数近くの市民が反対したのは、マーストリヒト条約のどこかに欠陥があるのではということになり、大きな危機感を持って@市民にEU加盟のメリットを分からせる、A市民に分かりやすい制度とする、B欧州市民権に国家主権を優先する、などを盛り込んだバーミンガム宣言が出された。

 国家の連合か、国家主権かはEUにとって永遠の問題である。イギリスのサッチャーも連合に疑問を持っていた。イギリスはEurope and Great Britainというようにヨーロッパに対してもともと疎遠であるが、ヨーロッパが発展してきたのは、それぞれの国が独自の文化を持ってやってきたからだとサッチャーは言っている。一方、そんなことをいっていると、日米に遅れを取るから、適正な規模で統合を進めようという連合派の意見もある。

3.アムステルダム条約(1999年5月)

 マーストリヒト条約は、1992年6月から始まった批准の段階から、デンマークでの批准の失敗、フランスの国民投票では過半数の賛成は得たものの僅差の勝利であったなど課題を抱えていた。EU内部では、統合をさらに推進するため、マーストリヒト条約の見直し論が浮上し、政府間交渉の結果、1997年10月新しいEUの条約としてアムステルダム条約が結ばれた。改定された要点は次のようなものである。

@シェンゲン協定の条約への組み入れ⇒旅券審査廃止

A「建設的棄権」導入⇒EU首脳会議の決定は全会一致を原則とするが、案件に反対の国があっても、その国が棄権すれば案件は拒否権で妨げられず多数決で決定でき、その際棄権した国はその決定の遵守を免責される。ただし、棄権が3分の1以上の場合は決定は行えない。

B外相理事会に特定多数決。加盟国が重大理由で多数決に反対した場合は表決せず。

CWEU(西欧同盟)との関係強化

D「社会憲章」を付属文書から条約本文に組み入れ、不参加だったイギリスも参加

4.ニース条約(2003年2月)

EUの憲法とも言うべき基本条約としては、1958年のローマ条約、それを改定し1993年に発効したマーストリヒト条約、1999年発効のアムステルダム条約があるが、2004年には中東欧を含む10カ国が加盟することになったため、東方拡大に際して混乱がないようさらに条約改定の必要に迫られた。これまで、長期間をかけて少数国の参加を認め、慎重に深化と拡大を図ってきた。今回は10カ国、しかも8カ国が東欧国である。この条約の要点は

@25カ国体制承認―東方拡大を決意―「ローマ帝国以来の大欧州」(プロディ委員長)     A質量両面の変容―10カ国中8カ国が旧ワルシャワ条約機構―西欧から全欧へ

Bアテネ宣言―条約署名式典―パルテノンを臨む古代アゴラで―紛争と分断に終止符

Cラーケン宣言―EUは岐路に差し掛かっているとして諮問会議創設―憲法条約諮問

5.憲法条約(2004年10月29日調印されたが発効に至らず)

 ディスカールデスタン氏が委員長、イタリア、ベルギー元首相が副委員長、108人の委員を選び1週に2回の会議をやる。草案を作り、閣僚委員会で承認され、調印されたが、反対論が強く結局発効しなかった。検討段階で、全欧組織になったのだから、アメリカ、ロシアと対等に対抗できないとおかしいのではないかという考えがあった。それまでの15カ国時代は、EUの議長国は輪番制で、1年2カ国、欧州理事会は6月、12月の2回が定例、これは公平であるが誰が外交の継承性・正当性をつなげていくのか、代表は誰か、などが問題になっていた。憲法条約に盛り込まれた内容は、下記のようなものである。

@原則―国家は機能を委譲―言語と文化の多様性を尊重―加盟国国民は同時にEU市民

A指導者―大統領(任期2年半・理事会議長)―外相は外相理事会主宰・EU副委員長

B採決方式―特定多数決方式廃止⇒二重多数決(各国1票・人口の60%の賛成で可決)

C市民―@100万人以上の署名で新政策を検討、A各国議会がEU政策修正意見提出可

フランスは2005年5月の国民投票で賛成45.13%、反対54.87%で批准拒否、オランダも国民投票で拒否した。これを見てイギリスは国民投票を棚上げした。ドイツのメルケル首相の強い意思で約2年間の空白の後、憲法条約の名称から「憲法」の表現をとり、「リスボン条約」と改め、外交政策の共通化や意思決定の方式の効率化などで合意した。

6.リスボン条約(2009年12月1日)

 条約の骨子は、憲法条約と殆ど変わりはないが、条約の呼称から「憲法」を削除し、EUの旗を国旗とする規定やベートーベンの第9交響曲第4楽章を国歌とする規定を削除するなど、全体に連邦国家を想起させる印象を排除してある。憲法ということになると、自国の主権が埋没し、大国ドイツ、フランスに振り回されるという心配が各国にあった。ディスカールデスタンの一つの国家にしたいという願いは叶わなかったのである。この条約および関連事項の要点をまとめておく。

@正式名称―「欧州同盟条約および欧州共同体条約設立条約を改定するリスボン条約」

A憲法条約の修正点―@条約名の「憲法削除」、A国歌・国旗の規定削除(連邦色希釈)

B批准・発効―アイルランド2009年10月2日の国民投票で可決⇒12月1日発効

C大統領決まる―ブレア圏外―ユンケル消える⇒ファンロンパイ漁夫の利(調整力)

質疑応答要旨

1.トルコの加盟が遅れている理由、加盟の見通しについて

 EUは、1999年にトルコを加盟候補国として認定したが、加盟実現は、この10年は難しいと思う。EUはイスラム圏で発言力がなく(アメリカは大きな発言力を持つ)、トルコ加盟のメリットは大きいと思われる。しかしながらEU各国の国民は、トルコが99%がイスラム教徒であること、貧しい移民の流入の心配、クルド人に対する人種差別、既にEUに加盟しているキプロス共和国の承認にトルコが難色を示していることなどから加盟に反対の意見が強く、2006年のEU外相理事会でトルコ加盟交渉の一部凍結が合意された。2007年の総選挙で新イスラム政権が出現し、EU加盟はますます遠のいたといえる。スイス、ノルウエーは、政府は加盟を望んでいるが国民は反対。ウクライナ、グルジアはエネルギー政策上は加盟してもらいたいところだが、ロシアに対する配慮が必要。特にウクライナは政争の真っ只中にあり、難しい状態。

2.EUにおけるイギリスの動き

EUは実質ドイツ、フランスが主導権を握っている。リーダーがしっかりしていないと組織は動かない。イギリスは現在ユーロに入っていないが、ポンドを手放すことは出来ない。イギリスの力はいまやシティーの金融だけである。ドイツはあの強いマルクを手放して中央銀行をフランクフルトに持っていった。まさに主導権争いである。ヨーロッパに入れないアメリカが、ヨーロッパで発言力を得るためには、@強力なNATOの力の行使、Aイギリスの利用の二つしかない。この必要性がある間は、イギリスは力を維持できるだろう。国際政局を論じる上では、イギリスはヨーロッパではないと思う。ドーバー海峡を隔てて大西洋に浮かぶ島であり、アメリカと思ったほうが良いのではないか。話題は変わるが、トルコは東西冷戦時代にソ連への対抗としてNATOに加盟し、アメリカの軍事援助を本来の使途でない仮想敵国であるギリシャに対する防衛に使っていた。ギリシャはアメリカにトルコと同額の軍事援助を要求していた。こんなことも、トルコがEUに加盟できない一つの理由になっている。

3.ギリシャの財政危機

 EUには財政に関して安定協定というルールがある。財政赤字がGDPの3%を超えると罰金をとられ、2年間保管されて改善されないと没収される。ギリシャは観光と輸出しかなく、厳しい状況にある。他にも財政赤字が10%を超える国が欧州には存在する。強いマルクを放棄したドイツはユーロが強くないと困るが、ドイツも3%を超えている。東西ドイツ統合において東ドイツが想像以上に経済状態が悪かったためである。

        (記録 藤木)